陰影礼賛

 近くの公民館でささやかな展示会があった。知り合いが所属する団体によるもので、書、絵、写真、工芸など60点余が並んでいる。もちろん趣味のレベルのものである。だが、なかなかどうして、つい足を止めて見入ってしまう作品も何点かあった。
 その中にとても感じる作品があったんですよ。ちょうど今読んでいる本と共鳴する写真だった。
 苔むした茅葺の屋根、その手前に一文字の燻の瓦が葺かれ、その下の障子にほんのりと灯りが入っている。夕暮れの日本の風情を余すところなく切り取ったものだった。
 今週、読書会がある。課題図書が谷崎潤一郎の『陰影礼賛』。それを久しぶりに読み返しているところだったので、ことさらに写真の風情が心に沁みた。
《草深い田舎の百姓屋でも同様で、昔の大概な建物が軒から下と軒から上の屋根の部分を比べると、少くとも眼で見たところでは、屋根の方が重く、堆く、面積が大きく感ぜられる。(中略)何よりも屋根と云う傘を拡げて大地に一廓の日かげを落し、その薄暗い陰影の中に家造りをする。》
 大屋根がつくる軒下の陰影について書いている。
《側面から射して來る外光を一旦障子の紙で濾過して、適当に弱める働きをしている。》
 陰影に与える障子の存在も重要だと説く。
 そういったことを、茅葺の家屋の夕景写真を見て、思い出したのである。
 一度、展示会場を出た。そこでふと立ち止まった。あの茅葺の建物に見覚えがあるのである。気になってもう一度会場に戻り、写真の前に立った。じっくり見れば、屋号の入った暖簾がかかっている。暖簾が波をうっていて読みにくいが、なんとか「平野屋」と読める。平野屋……茅葺……あ、京都化野の愛宕街道沿いにある鮎料理の平野屋ではないかいな。写真には写っていないが、手前に鳥居があるはずだ。
 いつだったか覚えていないくらい昔に通り過ぎただけの風景だったが、記憶の陰影の中に潜んでいたものがぼんやりと浮かび上がってきた。