生者と死者の交わるところ

 今朝の朝日新聞「オピニオン」の欄に映画監督の大林宣彦さんが登場する。大林監督といえば、生者と使者との不思議な交流を描く監督としても有名だ。お盆が近いということもあるのだろう。その大林監督が生者と死者について語っている。
「かつては生者と死者の区別があまりなくて、亡くなった人がすぐそばにいる感覚で育った」
「ひいじいちゃん、ひいばあちゃんの遺影が置かれた座敷にはいると、2人が語りかけてきた」
 この感覚ですよね。おそらく若い人にはイメージができないと思うけれど、こういうのがちょっと前までは実際にあった。
 ワシャの母親の実家は岐阜県東美濃の山の中にある。隣の家まで200mほども歩かなければならない。とても辺鄙なところである。ワシャが小さいころは、まだ茅葺だった。ちっとも立派な家ではなかったんだけれど、子供心に広い家だなぁ……とは思っていた。居間から仏間まで3つも部屋を通らなければいけない。「たかが3部屋か」と言われるかもしれないが、山間の茅葺のまっくらな部屋の向こうの仏間、仏間の向こうには森閑とした山が迫っているんですぞ。そりゃ仏間の上にいるひいじいちゃんも話し始めますわなぁ。
 居間はもちろん明るい。しかしその照明が廊下のあるところで境界をつくる。ここからこっちは人間界、ここから向こうは闇の支配する異界。日のあるうちは家じゅうをばたばたと走り回っているのだが、日が落ちると、灯りの下でそりゃぁいい子にしていましたぞ(笑)。

 生者と異界を描いた名作映画と言えば、溝口健二の「雨月物語」がおそらくダントツだろう。原作は江戸期に書かれた「雨月物語」で、これ自体が古典の名作なのだが、そこから溝口が「浅茅が宿」と「蛇性の淫」二編を取り出して脚色し、映像にするととんでもない作品に仕上がった。日本映画の中でも屈指の作品と言っていい。
 ワシャが母の実家でひいじいちゃんの話を聞いていたころから10年も経っていない。生意気な中坊だったと思う。田舎町の駅前にある小便臭い映画館で、雨のよく降る「雨月物語」を半分寝ながらぼんやりと見ていた。話が戦国時代の話だし、「雨月物語」はその時の段階で『少年少女世界名作全集』で読んだくらいだった。クオリティが違い過ぎて中学生の理解を超えていたのだと思う。まぁ連日のクラブ活動でヘロヘロになっていたということもあったかもしれない。
 でもね、この映画は強烈な印象をガキの脳裏に焼き付けた。主人公が死霊の若狭(京マチ子)と湖畔に遊ぶシーンがあるのだが、これが「極楽」なのである。薄ぼんやりとした意識の中、鼓を打つ若狭の、その幽玄なこと、妖美なこと……。この世界に身を委ねれば、そりゃぁ男は衰弱をしていく、中学生の時にそう思ったかは記憶にないが、なにしろそのシーンだけが脳裏に残った。その後、何度も「雨月物語」を観ているが、そのシーンの印象だけは変わらない。