昨日の中日新聞の本の宣伝が『明治維新の正体』(毎日ワンズ)だった。著者は歴史家の鈴木荘一氏。ワシャの読書量が少ないせいで、この人を寡聞にして知らない。
ここまで書いて、「それでももしかしたら書庫のどこかにあるかもしれない」と思って、まず「e‐hon」で鈴木氏の著書を調べてみた。およよ、かなり出版されておられる。でも、見覚えのない本ばかりだ。でもね、何冊目かに「おや?」と、引っ掛かる本があった。『わかりやすい会津の歴史 幕末・現代編』(歴史春秋社)である。この本は買った。
書庫を探しまくったら、あった。これじゃ。
教科書のような体裁の本で、著者名は表には書いてない。だから記憶になかったのだ。10数年前に会津若松城に行ったおり、城内の売店で求めたものである。なつかしいなぁ~。
おっと、この本の話ではなかった。中日新聞の本の広告の話である。三段抜き横一面の記事下広告がでかい。22ポイントの明朝体のコピーも7行にわたっている。
「徳川慶喜(幕府)=悪玉、新政府(薩長)=善玉という定説を打ち破り、明治維新を誤らせた岩倉・西郷・龍馬らを指弾、幕末維新史に風穴を開けた大ヒット作、ついに新書化!」
なぬ?幕府=悪玉??薩長=善玉???
そんな定説は、司馬史観の登場でとっくになくなっているよね。司馬さんの作品群を読めば、幕府側の人間は好意的に描かれ、例えば西郷隆盛など薩長側のヒーローが、悪意をもって描かれていることもある。だから新聞広告の言う「定説」などというものはすでに崩壊しており、会津の松平容保などは純真で忠実な性格を、孝明天皇に愛され、主従の信頼関係は鉄壁だった。
さらにでかい28ポイントのゴシック体で「今から150年前、この日本に自ら大統領になろうとした男がいた!」と強調されている。
あれ?でも、そのことは司馬遼太郎の『最後の将軍』で指摘されていることだよね。
14代将軍の死後7日目、越前の太守である松平春嶽が、京都神泉苑の慶喜を訪ねている。そこで春嶽が、慶喜に15代を勧めている。これに対して慶喜は「将軍は諸侯が選ぶべきであろう」と答えた。司馬さんの文章を引く。
《選挙権保持者が、相互で選挙人をえらぶということであろう。これによって選ばれた将軍は、すでに家茂までの将軍ではなく、大統領という概念にちかい。》
この説、「慶喜=大統領」についてはすでに司馬さんによって世に出ているのである。それも昭和41年に。
残念ながら、いささかネタが古いと言わざるをえない。