季節外れの彼岸花

 昨日、「錦秋名古屋顔見世」にゆく。昼の部である。演目は「あんまと泥棒」「藤娘」「松浦の太鼓」の3本。
 まず「あんまと泥棒」、これは現代歌舞伎の範疇に入る。ラジオドラマから歌舞伎に進化したもので、ゆえにセリフだけでもドラマが成立する。したたかなあんまと人のいい泥棒の一夜のお話で、老域に差しかかったあんまを中村歌六が好演している。歌六のセリフは上手な落語家の噺を聴いているようで、これから歌六もおもしろいのでは……と思わされた。
 次が「藤娘」、中村芝雀である。しかし、なにしろ華がない。今度の3月に雀右衛門を襲名だそうだが、がんばってね。
 そして昼席の最後が「松浦の太鼓」である。物語は忠臣蔵裏話で討ち入りの日と、その前日からなっている。大高源吾(三河日間賀の人)は子葉という俳諧師でもある。それが雪の夜、俳諧の師匠の其角と両国橋のたもとで出くわす。そこで其角は「年の瀬や水の流れと人の身は」と詠み、それに子葉が「明日待たるるその宝船」と付け句をする。
 翌晩のこと、其角は本所の松浦公の屋敷で俳句の会を催している。赤穂浪士のファンである松浦公は討ち入りをしないことに憤り、女中つとめをしている大高源吾の妹(米吉)に当たったりしているのだが、前夜の付け句の話を聞き、隣屋敷からの陣太鼓の音を聞き、「討ち入りじゃ!」と喜ぶのだった。「助太刀をする」と馬にまたがって表門を出る松浦公だったが、そこに大高源吾が駆けつけ、赤穂浪士の大願成就を知らされるのだった。
 というような話で、映画でも必ず出てくる隣家の協力の話である。松浦公を吉右衛門が好演している。吉右衛門の松浦公は2度目になるが、この人にはうってつけの役回りだろう。
 そして歌六である。其角宗匠を演る。これもなかなか枯れた味があっていい。ちょっとこれから歌六に注目して観ようかなぁ。

 今回の拾いもの。その1、吉右衛門が馬上にあってセリフを言っているときに、咳き込んでしまった。これがなかなか治まらない。素の吉右衛門が舞台上に現れておもしろかった。
 もう一つ、定式幕のことである。歌舞伎の時に引かれる柿、黒、萌木色の縞模様の幕、これが幕間に引かれる。幕は閉まるが舞台上ではトンテンカントンテンカンと舞台装置の移動などがあわただしくなっている。この時に幕が作業の邪魔をしないように、幕を舞台側から押し上げるのが通常である。おそらく入口を開けるので、気圧の関係で幕が舞台側に吸われないようにということであろう。その時に一人が舞台側から幕を押すと、ちょうどきれいな皺が幕の中央による。それが彼岸花の形になる。3人で幕を押すと、3本の彼岸花が、5人なら5本の彼岸花が生じる。これがまたきれいなのだった。