おんたけばあさん

 先週、あちこちから読書好きな友人が集って読書会を開催した。そこで埼玉から参加のHさんがこんな話を披露してくれた。
 高校生の頃、左肘が痛くなったそうだ。そのことをお母上に告げると、どこかの祈祷所のようなところに連れて行かれて、怪しげなオバサンに診察を受けた。そうしたらHさんの左肘には白蛇がからみついていることが判明した(驚)。それであわてて、左肘の白蛇を落とすために本物の白蛇様に対面させ、事なきを得たという。
 なるほど、白蛇が憑いていたのか。そうすると、さしずめワシャの胃には黒蛇が憑いているのかも。そんなことはどうでもいい。その話を聴いて、子供の頃の記憶がよみがえった。
 ワシャはその昔、JR駅前の商店街の一角に住んでいた。昭和30年代の後半である。ワシャは病弱な子供だったので、よく医者の世話になった。でもそれはかなり重症の場合で、例えばちょっと肩がぶったとか、お腹が痛いとか、ちょっと体調が悪いくらいだと、祖母がおまじないをしてくれるとケロッと治ったものである。それでも治らない場合は、商店街の外れにある樹木に囲まれた古い家に連れて行かれた。「おんたけばあさん」の家だった。おそらく「御嶽婆さん」なのだろう。家の中に祭壇のようなものが設えてあったので、御嶽教となにか関係があったのだろうか。そのあたりは、よく解らないし、あまり関係がないので割愛して話を進める。
 魚の骨が咽に刺さり大泣きをしていた。祖母は手でさすってくれたり、ご飯の塊を飲ませてくれたりしたが、取れない」ワシャが鳴きやまないので、祖母が連れられて、「おんたけばあさん」の家に行く。まず医者ではないのだ。そこで「おんたけばあさん」にワシャは診てもらうのだが、「おんたけばあさん」はワシャの咽をさすったりしながらモゴモゴと呪文のようなものを唱える。そしてやおら「カーッ!」と声を張り上げる。それで終わりである。ワシャは声にびっくりしてひっくり返った。なんだかよく解らないが、喉の骨は取れた。憑物が落ちたので泣きやんで元気になった。
 なんだろう、今思えば民間信仰のひとつということなのかなぁ。怪しいといえば怪しい。たまたまひっくり返って骨が取れただけかもしれないが、「おんたけばあさん」にギロリと見られると怖かったが安心感のようなものも感じていた。それがけっこうメンタルな部分に効果があったことも確かだ。
 おそらくHさんの白蛇様も、ワシャのおんたけばあさんも、いかがわしくもその存在価値はあった。庶民は、彼女らに依りかかることで、平穏な日常を得ていたのだろう。老人も子供も、今ほど医療の中にどっぷりとは浸かっていなかった。こういったところでメンタルな部分を癒されて生きていたのだと思う。
 Hさんの話を聴いて、そんなことを想い出した。