歌舞伎の話。
初代猿之助のエピソードが残っている。「忠臣蔵」で猿之助が寺坂平右衛門を演じた時、その妹役のお軽を六代目の梅幸がつとめた。芝居がはねて猿之助が帰って来ると、「梅幸はうまいなぁ、毎晩、実の妹に久しぶりに会うような気がして、芝居をしている気がしない」と、息子の二代目猿之助の前でほめていた。
かたや梅幸は、芝居から帰ると必ず一杯呑んだという。その時に弟子の前で「猿之助はうまい。毎晩毎晩同じ芝居をしていながら、久しぶりに実の兄さんに会うような気がする」と言っていたそうだ。
はからずも名優同士が、それぞれのことを陰で褒めあっていた。おそらく大正時代の話だろう。
昭和から平成にかけての名優たちは平成20年代に入ってばたばたと退場していった。のこっている大看板は少ない。当月、歌舞伎座に出ている幸四郎、菊五郎、吉右衛門、仁左衛門、京都南座で玉三郎、好き嫌いはともかくとして7月の大阪松竹に藤十郎である。
勘九郎や七之助、松也なんかもテレビに出演して顔を売っているが、一朝一夕では、猿之助と梅幸のような演技はできない。舞台に上がった役者が、己を主張せずに混然と一体化したした舞台など望むべくもないなぁ。
中堅どころに華のある俳優が育っていないのが辛い。といって修行には時間がかかる。歌舞伎ファンの悩みはつきないのであった。