高砂や

 歌舞伎で「高砂屋」といえば中村梅玉のことである。今や梅玉は大看板になって、それこそフル回転で舞台に立っている。12月の歌舞伎座もそうだったし、1月の公演にも坂田藤十郎松本幸四郎中村吉右衛門とならんでいる。2月は染五郎菊之助松緑七之助などの若手が中心で、地方公演のような様相を呈す。3月も梅玉藤十郎幸四郎吉右衛門で、これに玉三郎菊五郎が加わるので1月よりはいい。梅玉が悪いとはいわないが、団十郎勘三郎、三代目猿之助富十郎などが存在すれば、おそらくは二枚目あたりの登板になったろう。それがこの人材払底のおりから、花がないにも関わらず、毎回、使われているのである。
歌舞伎見巧者を自負しておられる岩下尚史先生は、「後からどんどんと役者が育ってくるので大丈夫」と太鼓判を押していたけれど、さみしい状況が続いていることは間違いない。舞台から退場した名優の穴を埋めるには高砂屋では少し荷がかちすぎる。
 
 おっと、今日のお題は「高砂屋」ではなかった。「高砂や」である。
 昨日、名古屋能楽堂に出かけた。その番組が「高砂」と「鞍馬天狗」だった。どちらも初めての能で楽しみにしていた。でもね、「鞍馬天狗」は牛若丸と大天狗の話なのでけっこうスペクタクルで面白そうなのだが、「高砂」のほうは登場人物も老夫婦だったりするので、あまり期待していなかったのじゃ。
 ところがどっこい、これが面白かった。結婚式で昔はよく謡われた「高砂や〜この浦舟に帆を上げて〜月もろともにいでしほの〜波のあはぢの島影や〜遠くなるをの沖過ぎて〜はや住吉に着きにけり〜」ってのがあるでしょ。あれをナマで聴いた。これは交響楽団を聴きにいって、知っている曲が流れるとなんだかうれしくなるでしょ、あれと似たような心境を味わったわい。
 そこもよかった。だが、この「高砂」の本領は後シテの「神舞」(かみまい)である。前シテは翁だったが、中入後、翁は住吉明神に変身する。この明神の神舞がなまなかではなかった。あるいは歌舞伎をも凌駕するほどの迫力だったと言ってもいい。シテを若き能楽師の内藤飛能(とびよし)が舞う。これは見ごたえがあった。
 後段の「鞍馬天狗」も名手辰巳満次郎が真っ白な大天狗をみごとに舞った。下手な歌舞伎舞踊よりもおもしろかった。しかし、この二人をもってしても、能楽堂の630席が埋まらないのである。取っつきにくいところもあるが、少し予習をしていけば、十分に楽しめる伝統文化なのだ。
 文楽をはじめ、能や狂言、じつは歌舞伎までも文化の崩壊が始まっている。どこに顔を出しても、ワシャより上の観客が圧倒的に多い。この現状を打破しなければいけない、そう思っている。