狐花(きつねばな)

つきぬけて 天上の紺 曼珠沙華

 山口誓子の句である。ちょうどこの時期の突き抜けるような晴天に、紅い天蓋花がゆれている、そんなさまを詠んだもの。お彼岸である。
 狐花、曼珠沙華、天蓋花、あるいは幽霊花などとも言う。今、土手や野に彼岸花が満開である。この辺りでは、新美南吉の童話『ごんぎつね』の中に彼岸花が登場してくる縁から、半田の権現山の南を流れる矢勝川の土手の彼岸花が有名だ。いたずらもののごんと狐花、そんなところにも作者の仕掛けがあった。
 南吉は、たくさんの詩も書いている。その中には「彼岸花」と題したものが3つある。書いた年齢は、17〜8歳の頃だから、中学校(旧制)の高学年の頃だろう。この翌年に「ごん狐」が『赤い鳥』に掲載されているので、中学生の南吉少年の中では、「ごん狐」の構想や、「彼岸花」の詩作などがぐるぐる駆け巡っていたに違いない。ちなみに、その詩を。

  彼岸花

彼岸花は、毒草。
真赤な花が、寺院の
藪かげに咲いた。

あゝ私達は、竹で折ったものだ。
すぐへし折れるこの花を。

私達はいやがったものだ、
おそろしいこの花を。

けれど彼岸花よ、
今その美しい事よ!
私は彼岸花を呼ぼう、
私達の幼なかった秋の思い出と。

彼岸花は、直咲いて直しおれる秋の花。

 南吉は、幼い頃、嫌っていた彼岸花が、この頃には好きになってきたようだ。己の生のかげろうの向うに、鮮やかな花を見つけたのかもしれない。