生みの苦しみ

「安保法案」の審議はなかなか始まらない。昨日の夕方から始まる予定だったのが、延びに延びて今日の午前8時50分再開となったそうだ。少なくとも現時点で動きがないので、シールズの奥田くんの話をしよう。

 奥田くんはがんばって参議院特別委員会の公聴会に出席して意見を述べた。詳しくはここをご覧くだされ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150915-00003690-bengocom-soci
 居並ぶお歴々の中で、奥田くんは健闘していたと思う。取りあえず髪を整えて、スーツを着てきたのは好感が持てる。鴻池委員長と名刺交換をしたのには笑った。この子、明治学院大学の学生ではなかったっけ。今時の学生さんは名刺を持っているんだ。おそらく「シールズ」の名刺なんでしょうね。
 そんなことはどうでもいい。奥田くんの発言である。
《あのー、すいません、こんなことを言うのは大変申し訳ないんですが、さきほどから寝ている方がたくさんおられるので、もしよろしければ、お話を聞いていただければと思います。僕も2日間ぐらい緊張して寝られなかったので、早く帰ったら寝たいと思っているので、よろしくお願いします。》
 ううむ、国会の弛緩した議員たちに、まず鋭い一矢を放つ。やるじゃないか奥田くん。ただ、後段の「僕も2日くらい……」は余分だ。「自分もこうだから」というのは子供だ。あ、子供だからいいのか。
《まず第一にお伝えしたいのは、私たち国民が感じている、安保法制に関する大きな危機感です。》
 奥田くん、「私たち国民が感じている」というのは少し僭越だ。「シールズとその仲間たちが感じている」と言わなければいけない。国会前に集まっている3〜4万人の暇人、各地方で繁華街なのを練り歩く行列好きな人々、これだけが国民の声を代表しているとは思えない。奥田くんが「私たち国民が」感じているぐらい同等に感じないのである。
 少なくともワシャの周辺ではなにも起こっていないし、街頭で声を上げている若者もいない。それはワシャの友達の耳目が届く範囲でも同様だった。ポイントには3〜4万人が集うかもしれないが、日本は広い。日本全国に国民は静かに暮らしている。奥田くんは「国民を代表している」のではなく、「シールズ」というノイジーマイノリティを代表しているだけだということを謙虚に意識しなければならない。残念ながら国民運動にはなっていないのだよ。多くの国民は「安保法制というものがよくわからないので、自分たちが民主主義で選んだ議員に決めてもらえばいい」くらいの感覚だ。「ワルシャワに何でそんなことがわかるのだ」と言われそうだが、市井に身を置いている普通の市民が感じる空気というものがもっとも現実の感覚に近いのではないだろうか。ハレの場のステージの上で、阿呆踊りをしている中から、普通の国民の感覚を見ることができるとは決して思えない。

 図らずも奥田くん自身が言っている。
《私たちが独自にインターネットや新聞で調査した結果、日本全国で2000カ所以上、数千回を超える抗議が行われています。累計して130万人以上の人が路上に出て声を上げています。》
 奥田くん、「累計130万人」と言っている。おそらく吹かした数字だと思うけれども、ここはそのまま信用しよう。延べ人数は130万人ということですよね。それが日本全国2000カ所以上、単純に割れば、1カ所あたり650人、国会前なんかは一度に10万人とかが集まるわけでしょ。そうなると1カ所あたりの人数は更に少なくなる。回数は数千回とおっしゃる。5000回としても、1回あたり260人程度でしかない。これがメンバー的に重なっている可能性は高いわけで、人数はここから更に少なくなっていく。
 ワシャの町は、愛知県の小さな町である。そこでも20万程度の人は住んでいる。ワシャの町で650人規模のデモがあっても300分の1の民意でしかない。
 そのことを意識して発言するかどうかが、まともな意見として認められるかどうかの分かれ道だと思うよ。  
《この私たちが調査したものや、メディアに流れたもの以外にも、たくさんの集会があの町でもこの町でも行われています。まさに全国各地で声が上がり、人々が立ち上がっているのです。また、声を上げずとも、疑問に思っている人はその数十倍もいるでしょう。》
 声を上げず、疑問に思いながらも、「よくわからないので、自分たちが民主主義で選んだ議員に決めてもらえばいい」と思っている人はその数百倍いるのではないか(笑)。
 ただ、彼らが活動をしていることを誹謗中傷するのもよくない。
《SEALDsとして行動を始めてから、誹謗中傷に近いものを含む、さまざまな批判の言葉を投げかけられました。たとえば「騒ぎたいだけ」だとか、「若気の至り」だとか、そういった声があります。》
 そのとおりであろう。その他にも「一般市民のくせして、お前は何を一生懸命になっているのか」とか「お前は専門家でもなく、学生なのに、もしくは主婦なのに、お前はサラリーマンなのに、フリーターなのに、なぜ声を上げるのか」という阿呆な指摘もあるそうな。一般市民だって一生懸命になってもいいし、声を上げる機会があるならば立ち上がればいい。
 ただ、背後に妙な組織がついていないことを祈るばかりだ。コラムニストの勝谷誠彦さんは「振り付けが巧みすぎる。金がありすぎる。文章がうますぎる」ということを指摘していた。勝谷さんをして「文章がうますぎる」と言わしめるのは、奥田くんがかなりの文章家であるということだが、国会前の演説を聞いても、Tシャツで出たテレビ出演の話し言葉を聞いても、それほどの語彙を持っていそうにもなかった。それがどうだろう、参議院特別委員会の公聴会では別人のような意見陳述となった。こういう場合は必ず「別人」がいるものでやんス。

 それはさておき今日の国会が楽しみだなぁ。