曽野綾子さんの言葉

 自由は決してなんでも好きなことをするわがままではなく、自分で選択する責任のことです。遊びにしろ、勉強にしろ、その選びに従って実を刈り取っていくところに、各自の人生は形作られるものです。自由はひとえに選び取ったものの価値であり、捨てたものの重さです。
 自由は厭なことから逃れる口実ではなく、自由に選んだ自分の道を最後まで頑張り通す意志のことです。

 作家の曽野綾子さんの言葉は重く深い。
 曽野さんの文章は、他者への優しいまなざしにあふれている。雑誌や新聞に書かれた文章も、著書もずいぶん読んだけれど、それは終始一貫していて、ぶれない。

 曽野さんの文章については、少し前に小さな波紋が広がったことがある。文章をきっちりと読み込まずに、部分だけを切り出して、それを悪意に解釈し――これはひとえに切り出した人物の性格によるのだが――噛みついてきた人物がいた。
 曽野さんは、南アフリカの黒人と白人の住居の話を例に挙げて、「適度な距離をおいて相互理解をすすめたほうがいい」というようなニュアンスの発言をされていた。文章全体を読み込めば、曽野さんにまったく人種差別のようなにおいはない。だが、曽野さんを糾弾した連中は、声高に「人種差別主義者!」と決めつけた。曽野さんの文章を、どうひねくれて読めば、人種差別につながるのか、まったく判らない。
 色眼鏡で風景を見れば風景に色がつく。イデオロギーという色眼鏡はかなりつよい色が塗ってあると思ったほうがいい。