好きな雨と……

「日照雨」(そばえ)が好きである。天は晴れている。にもかかわらずパラパラパラと風に舞った水滴が降る。地域によっては、「化雨」(ばけあめ)「あがり雨」、あるいは「狐の嫁入り」と呼ぶ。晴れ渡っているのになぜか小雨が降ってくる。遠をゆく雲から気まぐれに雨粒が流れてくるのだろう。晴天のことだから、たちまちに衣服に雨の染みができる。でも晴れているからすぐに乾くんだけれどね。
 司馬遼太郎の『燃えよ剣』の最終章である。土方歳三の想い人のお雪の消息が伝えられ、静かに終わる。

 お雪。
 横浜で死んだ。
 それ以外はわからない。明治十五年の青葉のころ、函館の称名寺に歳三の供養料を治めて立ち去った小柄な婦人がある。寺僧が故人との関係をたずねると、婦人は染みとおるような微笑をうかべた。
 が、なにもいわなかった。
 お雪であろう。
 この年の初夏は函館に日照雨が降ることが多かった。その日も、あるいはこの寺の石畳の上にあかるい雨が降っていたように思われる。

 この小説を読んでから「日照雨」がますます好きになった。雨なのだけれど、明るくていいじゃないですか。
 昨日、一昨日は曇天だった。重い雲が広がっているならば、雨が降ればいいものを、垂れ込めたままで降るのか、降らないのか、じつに優柔不断な空模様なのである。
 ワシャは近隣に行くのに、ほとんど自転車で行く。雨が降っていればモスグリーンのカッパを着、長靴を履いてどんな豪雨だろうと飛び出していくのだ。防水もしっかりとかけてあるので、時間50mmでもどんと来いってなものである。
 しかし、降るのか降らないのか……という天気は腹が立つ。降っていないんだから、この蒸し暑いのにカッパを着るバカはいませんや。かといって着ずに出ると、途中から迷い雨のような粒が、パラパラパラと降ってくる。晴れていれば「日照雨」ですわなぁ。天は重い雲におおい尽くされているから「化雨」でも「狐の嫁入り」でもない。日差しがないから濡れた衣服の乾きもわるい。絶えることなくパラパラっと降り続く。カッパを着けようか、どうしようかと悩んでいるうちに衣服は湿っていき、目的地には着いてしまう。はっきりせいよ。
 調べてみたのだが、こういった中途半端な雨には名前がない。雨の名前は400ほどある。その中に、曇り空のしょぼしょぼと降る雨の名称はついに見当たらなかった。