いつの時代も

 靖国神社遊就館に展示されている人間魚雷「回天」を見るたびに涙があふれてくる。全長15m足らずの小さな潜水艦で、外界との接点は小さなスコープしかなく、そんなちゃちな鉄の棺桶で大海原に出て行くその心細さはいかばかりであろうか。
 これらの特攻を「統率の外道」と言った大西瀧治郎を含めこれを実行に移した軍の指導者を心底嫌悪する。大西は終戦の翌日に責任をとって自刃した。「死ぬときはできるだけ長く苦しんで死ぬ」と言っていた大西は介錯を強く拒んで15時間余を苦しみ続け、その後絶命した。その態度は責任をとらない軍官僚よりも、寸毫はマシであった。しかしあたら若い将兵の命を浪費し、戦後ものうのうと生きのびた卑怯者は数が多い。こいつらを許すことはできない。
新潮45』8月号に、「あの戦争は何だったのか」という戦後70年特集があった。その中に、ノンフィクション作家の保阪正康さんの《「一億玉砕」という亡国思想》が、常々ワシャの思っていることをズバリと言い切っていておもしろかった。
 大戦末期の軍官僚は「負けたと言わなければ負けていない」という妄想を盲信していた。保阪さんは「国民抗戦必携」に次のように書かれていたと書く。
「銃、剣はもちろん刀、槍、竹槍から鎌、ナタ、玄能、出刃包丁、鳶口に至るまで、これを白兵戦闘兵器として用いる……」
 これが軍事の専門家と自負する軍官僚から出てきているところに帝国の悲劇があった。リアリティを持っている軍人ならば、アメリカ軍が、艦砲射撃で鉄の暴雨を降らせ、壕ごと日本人を吹き飛ばし、その後に上陸すれば、火炎放射を放ち、機関銃で弾幕を張って前進してくることは確信しているはずだ。でありながら、重武装して集団で上陸してくるアメリカ兵に、普通の市民が、玄能を手にして戦争が出来るかってんだ!玄能ってカナヅチのことですよ。塹壕の中で生き残っていたとして、玄能を振り上げて飛び出したとたんハチの巣のようにされるのがオチだ。
 こんなことを真面目に考えている秀才バカが軍を率いていたのかと思うと、悲しくなるわい。

 東芝が経営トップの関与が認定された不適切会計のニュースである。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150712-00000015-mai-bus_all&pos=5
 こちらも、指導者が、己の保身を優先し、懸案を先送りにして責任をとらないヤツだったので、「東芝」というブランドを地に落としたというお粗末。
新潮45』8月号の保阪さんの記事は、70年前の日本軍の指導者を批判したものであるが、なんだか東芝のトップ連中にも見事に当てはまっちゃうから笑える。