普段、愛知県の人口集中地区に住んでいて、周辺が明るいせいか、星のことを意識したことがない。夕べは薄曇りだった。西の空にぼんやり輝く上弦の月がかかっていた。雲のせいで星はひとつも見えない。おそらく地上を離れ、雲の上に出れば満天の星空なのだろうが、地表に生きるワシャらには見えない。見えないということは意識しないということで、意識になければ存在しないのと同じことである。我々の頭上には億千を超える星々があるのだが、そのことを実感できなければ、その人間にとって宇宙はないのと同じで、あるいは阿弥陀如来の浄土世界と同じようなものであろう。
そんな日常の中、ふと宇宙を意識させてくれるいいニュースがあった。地球がもしかしたら独りぼっちではないかもしれない、という話。
我々の地球から1400光年のところに、地球と太陽に大きさや位置関係などが最も似た惑星と恒星が見つかった。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1507/24/news102.html
1400光年というのは、宇宙レベルで考えると、さしたる距離とはいえない。お隣さんのようなものである。そこに兄弟とまではいえないけれど、従兄くらいの星が見つかった。その惑星に水があって、生物が進化していて、なおかつその生物が文明を営んでいれば、地球から「こんにちは」と呼びかければ、2800年後にむこうの星から「こんにちは」と返って来るかもしれない。
おそらく地球周辺の飛び交う電波などについては研究が進められて、それらしい規則性のある電波は今の所つかんでいないので、むこうの星に電波を宇宙空間に放つ技術は、1400年前にはなさそうだ。こっちだって1400年前には、遣隋使を送るのに命懸けだったんだから仕方がない。
でもね、星は無数にある。空に見えているのは恒星で、それには惑星がたくさんぶら下がっている。いったい、何千億個、何兆個の星が宇宙空間に浮かんでいるのか、皆目見当もつかない。なにしろそのすべてを見た人間はいないのだから。
さて、1400光年である。銀河系の直径が10万光年であるから、銀河を直径10mの円盤と考えれば、地球の従兄とは14cmくらいのところに位置している。しかし、この14cmがなかなか越していけない。
人類がもっとも遠い宇宙に行ったのは月である。平安時代にかぐや姫が往復をした、地球から38万キロかなたにある我々にもっとも近い天体ですね。
10mの円盤では0.1mmが1光年、1光年は9.5兆キロ、38万キロはその2500万分の1だから、1mmの2500分の1だけ前進したということ。これがどれほどの進歩なのかイメージしていただけるだろうか。
行けない、見えない、存在は伝聞でしか知りえない、これはあの世とか西方浄土というのとあまり差がないように思える。
ワシャらの体験できる世界は、地球の上っ面10キロほどの空間でしかなく、ごく一部の油井さんのようなエリートが400キロ程度の上空までを体験できるだけであろう。
瞬く間に生まれ、瞬く間に死んでいく。たった独りでこの世に来て、たった独りでこの世から去る。なんとも寂しいかぎりではあるが、それが大宇宙の営みのひとつであり、ちっぽけなんだけど、それぞれの人の中にはそれぞれが宇宙を持っているのじゃ。目をつむってごらんなさいよ。光速を飛び越えて、銀河が眼下に広がってきませんか。人の持つ想像の翼は、大宇宙をも凌駕するのかもしれない。(なんのこっちゃ)