特攻は誰がさせたのか

 今日の朝日新聞。「文化の扉」というコーナーがあって、テーマは「特攻」だった。まぁ終戦記念日前のこの時期は色々な手を駆使して「反戦意識」を高めようと必死だ。

 とは言え、先の大戦のことを知ることは重要である。とくに「特攻」という非人道的な戦術に関して勉強することの意義は大きい。ただし、朝日の「洗脳」に乗せられることには細心の注意が必要ですぞ。

 

 まず、ワシャは大東亜戦争末期に導入されたこの戦術を「反吐が出るほど嫌悪」している。この戦術を導入した軍官僚はサイテーな野郎だと思っている。そういった意味からいえば、朝日の記事とワシャの考え方は同じである。とにもかくにも「特攻」に行き着くことは、山本五十六なき海軍はバカばっかりということだった。

 

 紙面を見てみよう。反日プロパガンダを繰り返す朝日は、「特攻」を生んだ人間として4人を顔のイラスト入りで、その首を晒している。

黒木博海軍中尉

大西瀧治郎海軍中将

小沢治三郎海軍中将

歴史学者平泉澄先生

である。

 朝日新聞は小沢中将以外を呼び捨てにしている。そういったところに朝日のいやらしい意図を感じるのはワシャだけであろうか。

 まぁいいや。ともかく朝日新聞は紙面でこの4人を悪役に仕立て上げているが、申しわけないけれど(申し訳なくもなんともないが)、ワシャは朝日のこの論調には同意できない。4人とも自分に嘘をつかずまじめに生きた人ばかりと言っていい。

 この紙面の記事中に「同調圧力」とか「逆らえない空気」という言葉が使われているが、朝日新聞などが紙面を使って煽りに煽った「空気」が「特攻」を生み出したと言っても過言ではない。そのことを避けて、どれだけ「特攻」の責任に所在を攻め立てても、「まずテメエ達が反省しろよ」という話である。この無責任な煽り体質は、戦争が終わってもさらに性質が悪くなって、「慰安婦」とか「徴用工」などで、相変わらずのご活躍、いいかげんにしろよ。

 おっと、話を元にもどす。

 黒木中尉である。彼は魚雷特攻兵器の「回天」の発案者だった。しかし、回天の訓練中に事故で沈没し回天の中で窒息死する。しかしかれは窒息する半日の間、回天の改良点などをメモとして書き続けた。ワシャのイメージからは、真面目な現場の責任者の姿しか浮かんでこない。中尉はこんなことを言っていた。

「必死の戦法さえ採用せられ、これを継ぎゆくものさえあれば、たとえ明日殉職するとも更に遺憾なし」

 22歳の若造ですよ。「若者」と書こうか迷ったんですが「若造」とあえて書きました。英霊であることはもちろんですけれど、少なくとも当時は22歳程度の知識、判断力しかなく、さらに周囲は朝日新聞などが醸し出す「空気」に染められていた「若造」でしかなかった。

 テメエ達の歴史的責任は棚に上げて、よくぞ「若造」を「特攻を生んだ一人」として晒し首にしたものだ。

 

 さらに黒木中尉が師事していたからということで、東京帝国大学平泉澄先生を「皇国史観」の第一人者として名前をあげてくる。ワシャは子供のころに平泉澄著『少年日本史』(皇学館大学)を貪るようにして読んだものである。この本によって日本という国を愛することを知った。本の冒頭にある先生の歌である。

 

 花を追ひて 二十日旅して 思へらく 日の本は猶 ひろくありけり

 

 大災厄の戦争から10年後に、先生は桜を追って旅をしたのであろう。そこで、焦土と化した日本の再生を見て、「なお日本は広いのだ」と実感された。

 朝日新聞は、平泉先生を「国粋主義者」とののしるが、平泉先生は「愛国者」であったと思う。そして「特攻」については、『少年日本史』の中の74章「大東亜戦争」でも語っている。それも黒木中尉を大きく扱ってである。

 どうぞ、朝日新聞の論調だけに流されるのではなく、『少年日本史』なども参考にしていただき「特攻」を考えていただきたい。

 

 大西中将である。彼は、確かに「特攻」という愚策の中心にはいた。そして戦後、本人がいないことで、その責を一身に着せられた面も強い。後年の状況を見る限り、責任を彼ひとりに押し付けることは間違っているという見解が出ている。そういったこと踏まえて記事を書けよ。

 大西中将は少なくとも敗戦後にその責任を取って自刃している。

 

 最後の連合艦隊司令長官の小沢中将も、立派な人だった。敗戦後に、海軍内でも責任を感じて切腹する軍人が多く出たのだが、それを止めたのが小沢中将だった。

「君たちは死ぬ必要はない。皆が死んだら誰が国を再建するんだ」

 そして自身も自刃はしなかった。ここが大西中将とは違っている。

「自分に開戦の責任はない。ただただ全力を挙げて戦った。しかし敗戦の責任が私にはある。だから、国民に申し訳ないという気持ちはあるが、死ぬほどのことはない。だから、私は生き残る」

 海軍の敗戦の全責任を背負って生きる。これも見事な生き様だと思う。

 

 そうやって見てみるとね、まともな人ばかり4人を論って、その人たちが残したたくさんの言ったり書いたりした中から、こと「特攻」に関するフレーズを引きずり出して、いかにも彼らが「特攻思想」を生んだかのようにミスリードを図る。これが朝日新聞のやり口と言っていい。

 

 蛇足になるが、「特攻」で亡くなられた若者が何千人といる。彼らにはそれぞれ家族があり、故郷があり、愛する人がいたに違いない。

 その若者たちを、「まぬけな日本人」と揶揄した「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展」を許さない。その若者たちを貶めるために「造ったゴミ」の収拾者を断固軽蔑する。