リアリスト

 今、曽野綾子を重点的に読んでいる。その切っ掛けは、『思い通りにいかないから人生は面白い』(三笠書房)だった。「ああ、この人はこういう価値観を持っている人なんだ」と感心し、助けられもした。曽野さんの精神を確かめるべく、何冊かの著作を買い求めて読んだ。
 曽野さんは極めて健全なリアリストであった。たとえば『読みなおす一冊』(朝日選書)ではこう語る。
《平和はお互いに望めば達成される、というような言葉に、私はもともと疑いを持っていたがこの本(『夜と霧』)を読んでからは一層信じなくなった。》
「話し合えば解かりあえるのよぉぉぉ」とバカの一つ覚えで喚いている田嶋陽子は、おそらくフランクルの『夜と霧』を読んでいまい。読んでいて、なおかつ「話し合い平和教」を信奉しているとすれば、これは真性のバカだ。
 バカの話はどうでもいい。賢者の曽野さんの話である。今回、読んだ著作の中に『沖縄戦渡嘉敷島「集団自決」の真実』(WAC)があった。曽野さんが徹底した取材で検証をかさね、見事に左翼プロパガンダを覆した名著と言っていい。
「従軍なんたら問題」でも「南京なんたら事件」にしても、まったく検証がなされず、ネガティブな証言ばかりを採用して政治的プロパガンダとして利用されている。本来、曽野さんが『「集団自決」の真実』で見せてくれた加害者とされる側、被害者とされる側、双方に徹底的な取材を行って、結論を導くのが道理だと思う。そういった誠実な調査を行わず開陳される事項など、捏造と思った方がいい。
 さて、曽野さんが取り上げた渡嘉敷島のことである。大江健三郎について触れた部分があるので引く。
大江健三郎氏は『沖縄ノート』の中で次のように書いている。
「慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞と他者への瞞着の試みを、たえずくりかえしてきたことであろう。人間としてそれをつぐなうには、あまりに巨きい罪の巨魂のまえで……」
 このような断定は私にはできぬ強いものである。「巨きい罪の巨魂」という最大級の告発の形を使うことは、私には、二つの理由から不可能である。
 第一に、一市民として、私はそれほどの確実さで事実の認定をすることができない。なぜならば私はそこにいあわせなかったからである。
 第二に、人間として、私は、他人の心理、ことに「罪」をそれほどの明確さで証明することができない。なぜなら、私は神ではないからである。》
 大江健三郎は、慶良間の集団自決の時、10歳だった。愛媛県の小学校に通っている。つまり大江は慶良間島にも渡嘉敷島にもいなかった。そして、さしたる取材もしないまま、作家の思い込みと左翼イデオロギーに突き動かされ、無実かもしれない人に「巨きい罪の巨魂」という最大級の告発をした。
 こんな阿呆の中和剤として、同時代に曽野さんのようなリアリストがいてよかった。

 そろそろ本題である。
 アメリカ軍が、沖縄上陸の前に慶良間列島を叩いた。昭和20年3月26日のことである。アメリカ軍は沖縄南部西海岸の嘉手納に上陸しようと考えていた。その際に上陸軍の横腹を突く形になる慶良間列島の水上特攻隊の基地を叩いておく必要があった。とはいえ300人の特攻艇乗員だけである。アメリカ軍は第77師団が上陸してくる。それも最新鋭の155ミリカノン砲を携えて。
 日本軍の唯一の武器と言っていい水上特攻艇「震洋」は、上陸前の艦砲射撃でほぼ全滅している。まず横撃部隊を壊滅せしめ、その後、4月1日に沖縄本島嘉手納海岸への上陸作戦が敢行された。本来、この上陸作戦でアメリカ軍は猛反撃を受けるはずだった。アメリカもそう読んで綿密な計画を立てている。しかし、そうはならなかった。上陸作戦はあっけないほどであった。
 沖縄軍司令官の牛島中将はリアリストである。かれは、アメリカ軍の日本本土への侵攻を少しでも遅らせようと、沖縄で徹底抗戦をする腹を決めていた。敵はおよそ55万、牛島中将の兵は5万である。そもそもこの手配り自体がお粗末なのだが、牛島中将は乾坤一擲の戦いをすべく、何度もシミュレーションをして負けない戦いを立案した。
 ところが、昭和20年1月中旬に、阿呆ぞろいの大本営は、沖縄軍からその中核を担う第9師団を引き抜いて台湾へ移動してしまった。その上に、かわりの師団も沖縄に送ってこない。現場を知らずに指示を出す東京電力幹部のようなものであった。
 牛島中将は、根本的に作戦の見直しを迫られ、必死に立て直しを図るが、如何せん、2カ月で精強な師団の抜けた穴を埋めることは不可能だ。その結果、水際で食い止める作戦を切り替えて、内陸部で闘う作戦へと切り替えていく。いつの時代も、現場は頑張るのだか、現場を見ずに机上で猿知恵を働かせる中央本部が足を引っ張るんだね。

 とにかくアメリカ軍は4月1日に沖縄上陸作戦を完了した。その後、戦線を拡大し、4月3日には東海岸まで達している。
 その頃、大本営はなにをしていたか。また、バカなことを考えていたのである。
「沖縄が大変だ。沖縄周辺に展開するアメリカ艦艇に神風特攻隊が攻撃を仕掛けている。しかし、機能に優るアメリカの戦闘機の前に好餌となっている。このためできるだけ多くのアメリカ航空勢力を別の場所におびき出し、その間隙をぬって連合軍官邸に神風攻撃をしよう」
 そのおびき出しの囮に戦艦大和を使おうというのである。そして、そのおびき出し作戦を耐え抜いた後、「大和は沖縄の嘉手納海岸に乗り上げて、陸上砲台としてアメリカ軍を砲撃せよ」という作戦だった。
 こんなもの作戦でもなんでもない。単なるバカの思いつきである。そもそも大和が呉軍港を出港したのが4月2日である。その時すでに沖縄での上陸作戦は終了し、海岸はアメリカの制圧下にある。どこに大和は乗り上げるんだ。
 それに、連合軍の航空戦力を大和に集中させるというが、大和は四波の攻撃を受けているが、1波につき100機から150機である。アメリカ軍が沖縄方面に投入している機数からいえばごく一部でしかない。
 大和も攻撃するが、沖縄方面で飛来する神風にも対応する、アメリカは十分な物量を有しているのである。
 そんなことも知らないかったのか。あるいは知ってはいたが妄想主義に陥っていた大本営が、沖縄や大和を見殺しにしたというところだろう。

 今日は戦艦大和東シナ海に鎮んだ日である。合掌。