ランドセルしょって元気よく

 いちゃもんもここまでくると芸になっている。
《日本のランドセルは、軍国主義の象徴であり、韓国人なら見直すべきだ――。韓国の大手紙「朝鮮日報」がこんな荒唐無稽なコラムを書いて話題だ。欧米セレブの愛用をきっかけに国内で人気になっていることに対し、クギを刺す狙いらしい。》
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150708-00000005-jct-soci
 こんなことを言っていると「液晶ディスプレイ」だって「合成繊維」だって「インターネット」などもろに軍事技術が民生用に変化してものである。これらも日本が創れば「軍国主義の象徴」ということになるんでやんすかね。
 最近まで、ワシャのご近所さんを含めて「普通の人々」はそれほど韓国に対してのこだわりはなかった。ところが「世界文化遺産登録」について、まさに言いがかりとしかいえない韓国の干渉には、普通の人々も怒り出している。2日前にも、玄関先で三軒隣の老婦人から呼び止められて、なにも雨の中で世間話をすることもないのだが、「世界文化遺産登録」の話題が出た。その方、数年前は韓流ファンで、韓国にも出かけるほどだったが、いまや町内会でも反韓の急先鋒となっている。
 ワシャはあくまでも平和主義者――和の国が東亜を平らげる主義(どっちも嘘々・笑)――なので、ご婦人のお話を聞いているばかりなりけり。
 それにしても「ランドセル」にいちゃもんをつけてくるとは凄いっすよね。鞄の横についている金具が「手榴弾」をぶら下げるために付いているなんて、軍国少年だったワシャでも知りませんでしたぞ。ワシャでもその程度の認識なので、普通の日本人の意識下にそんなものは存在しないと言い切っていい。
 欧米のセレブたちがもてはやし始めたそのことに、朝鮮日報の記者が「嫉妬」したのである。それにしても、なんと凄まじき嫉妬心であろうか。でもね、多くの韓国人がそう思っているのではなく、日本で言えば朝日新聞とか琉球新報の記者がそう言っているだけという状況なので、それほど気にすることもないだろう。
《もっとも、韓国人の中にも、このコラムは少しおかしいと思った人は、少なからずいたようだ。コメント欄では、「記者の先生は、ソウルメトロ1号線の電車に乗っていますか? それ日本の技術で作られたものなのですが」「排他的なことばかりすればよいの?」「今の読者は、このような文を望んでいません」といった声が支持を集めていた。》
 彼の国の民も賢明なのである。阿呆なのは、自分のことを賢者と思い込んでいるマスコミばかりだろう。

 夏目漱石の『明暗』の一節を引く。
《軽い衝撃を受けた彼は殆ど反射作用のやうに後を振り向いた。さうして其所にさも悪戯小僧らしく笑いながら立つてゐる叔父の子を見出した。徽章の着いた制帽と、半洋袴と、背中にしよつた背嚢とが、其子の来た方角を彼に語るには充分であつた。》
 この文章(大正5年)の後半に出てくる「背嚢(はいのう)」がランドセルの前身である。背嚢とは軍人の背負ったカバンのことである。もうこの時点で、小学生が常時担いでいる日用品になっている。
もっと古くは明治25年に発行された巌谷小波『当世少年気質』の中に「秀麿は外套の頭巾を被り革袋(ランドセル)を背負って……」ということで、120年以上前に民生品となっているランドセルを「軍国主義」とはこれいかに(笑)。