怒涛の東京(2)

 時間が許せば、ワシャは必ず「遊就館」に立ち寄る。その存否については世に喧伝されているとおりである。支那や朝鮮の首脳から言わせれば、軍国主義復活、軍国主義礼賛の根城のようなところということになろう。しかし、イデオロギーの色眼鏡を外してみれば、日本史の上の対外的な戦争をテーマにした歴史館といった趣だと思う。その証拠に、ワシャは何度足を運んでも、国のために命を落とした人のために落涙はするものの、「だから戦争をしなければいけない」などと考えたことはこれっぽっちもない。ただ、日本の歴史を国土を文化を、そしてこの国を愛する人たちを守らなければいけないとは、毎回、思わされる。
 そういった意味から言えば、今回も260万英霊、所先生に言わせると、それは260万柱あるのではなく、大きな一つの御霊になっておられるのだそうな。ざこば師匠は、御餅に例えていたが、個々の御霊が集合して大きな御霊になっておられるということで、その御霊に上下もなにもない。そういった存在なのらしい。
 その大きな御霊と向き合うと自分の「個」がいかに小さいか、自分の「公」の部分がどれほど薄っぺらいかに自覚的にさせられる。未熟な己と向き合う場だと思って足を運んでいる。
 さて、館内である。入れば玄関ホールに零式艦上戦闘機52型が鎮座する。これが当時も今も飛行機大好きな少年たちのあこがれの的、「0戦」である。『永遠の0』の主人公が乗っていた機がこれである。結局、最後の特攻で最新鋭の52型を教え子にゆずり、自分は旧タイプの21型で出撃するのだが、そのおかげで宮部の妻は戦後の幸福をつかむことができた。今、ちょっと泣けてきた。そのあたりの詳細はコミックでも小説でも映画でも描かれているのでそちらをご覧くだされ。
 そういう物語を秘めた機なので、後ほど、じっくりと対面することにして、とりあえずエスカレータで2階へ進む。20を超える大小の展示室が配置されているので、真剣に回ろうとすると半日、ワシャの解説付きなら1日は覚悟してもらいたい(笑)。でも、一人だったし、夕方から別の所用もあるので、ポイントだけ押さえながら見て回る。
 最初は、何と言っても、NHK大河「花燃ゆ」の主人公「吉田松陰」の遺墨のところで足が止まった。右肩上がりのかなりの癖字である。作家の日垣隆さんも右肩の上がる癖字を書かれるが、う〜む、似ている。10年くらい前に渋谷で日垣隆さんの16時間セミナーに参加し、初めてお顔を見た折のこと「おや、吉田松陰に似ている」と思ったものである。メガネを外し、ちょんまげを結って、着物にすれば吉田松陰になる、と思った。そんなことをセミナーの感想に書いたものである。