極上の時間

 昨日、夕方に刈谷市にもどったのは、午後7時からN響刈谷公演があったからである。JR刈谷駅にすぐ南に「総合文化センター」があるのだが、ここにある大ホールの音響がいい。だからN響クラスの一軍が来てくれる。いいホールでいい音楽を聴く。これにまさる楽しみはなかなかない。
 プログラムは、ボロディン:歌劇「イーゴリ公」―「ダッタンの娘たちの踊り」「ダッタン人の踊り」。リスト:ピアノ協奏曲 第1番 変ホ長調チャイコフスキー交響曲 第6番 ロ長調 作品74「悲愴」である。
イーゴリ公」は、しまった、物語を押さえておけばもっと楽しかったに違いない。音楽の中にイーゴリ公、妻のヤスロバナ、ガリッキー公などが立ち現われたことだろう。
 ピアノ協奏曲は、名手横山幸雄の手により、みごとな演奏が堪能できた。
 そして、チャイコフスキーの「悲愴」である。チャイコフスキー最後にして最大の傑作は聴きごたえ充分であった。最近、聴いたクラシックの中では一番良かったなぁ。
 チャイコフスキーは晩年、鬱病になっていたようだが、鬱というものは時として偉大な芸術を生む。

 しかしいいホールがないと、チャイコフスキーN響で……などということができない。その点、昨日のホールは手抜きをせずにしっかりと造ってあった。ケチな自治体だと金をかけるべきところにかけないから、どうしても中途半端なシロモノを建ててしまうことが多い。「多目的ホール」なんて名前のついているところは、そもそも使い道のない「無目的ホール」なのだ。きっちりいいものを造って、一流のプロに評価してもらう。それが大切だと思う。「プロの評価は厳しい」ということを、文化の育っていないところは理解できず「市民の理解が得られないけん、建築予算を8割くらいにおさえておくっぺぇよ」となって、意味のない箱モノを出現させてしまう。そんなところで誰が感動するか。