夏至の朝 蹲踞の腹に ダンゴ虫

 ヘタクソ!はいはい。
 午前5時半、庭の鬼太郎ポストに新聞を取りに行って、蹲踞(つくばい)の脇に捩花が1本伸びていた。ワシャは文字摺草(もじずりそう)が好きなので、つい屈みこんで観ていると、蹲踞の腹をダンゴ虫が這っていたというわけ。

 もどってきてバナナを食べながら新聞を読んでいると「ゲゲゲ」と声を上げてしまった。見出しは「零戦の展示 地元複雑」。そこに愛知県豊山町長のコメントが載っている。
「若い子にそういうものを見せて、興味を持たせたくない。いたずらに使われたドローン(小型無人飛行機)と一緒です。僕は戦争反対ですから」
 この町長、何を言っているのだろう。前後の文脈もあるので、発言全体を聴かないと真意をはかることは難しい。けれど、この発言で明確なことは「若い子に零戦を見せたくない」「零戦とドローンは一緒だ」「僕は戦争反対だ」、これは間違いないよね。
 まず「若い子に零戦を見せたくない」については、記事中に説明がある。
《1942年、田園風景のこの地に軍人が現われ、「お国で要る」と農地接収を通告。名古屋を空襲から守るためとして、陸軍小牧飛行場の予定地に選定されていた。農家は立ち退き、住民は2年後の完成へ工事に駆り出されたという。》
 この説明があって、その後に語気を強めた町長のセリフが入る。
「みなさん難儀されたんだ」
 つまり町長は、農地接収され空港整備の労働に駆り出されたので「若い子に零戦を見せたくない」と言っている。
 当時、日本国中、台湾も朝鮮も南方も、全部日本だったから、そこまで含めて国民はみんな難儀をした。それが戦争というものである。あんたが語気を強めることでもない。むしろ行政の長として子供たちにそういった歴史もあったということを知らしめるべきではないか(とワシャは語気を強める)。
 一例を挙げる。西三河に二つの航空基地があった。明治航空基地と岡崎航空基地である。両所ともその必要な用地を海軍が一方的に買収した。区域内にあった神社も墳墓も火葬場も、すべて移転となったものである。当然のことながら道路なども付け替えざるを得ず、そういう意味では三河人も難儀をした。
 話が回りくどくなっているが、要するに豊山町の難儀はその程度のもので、先の大戦の末期にはそういうことが全国的に日常的にあったということ。戦争というものはある意味で国と国との総合力の決戦だからそうならざるをえない。
 ただ、その用地接収、空港整備、移転工事などというものと、名機零戦を一緒くたにして欲しくない。泥臭いこともあったであろう。しかし、空に舞う技術の粋を集めた飛行機もあったのだ。その歴史を子供たちに知らしめることがなぜ「悪」か!土地の歴史もあり技術の歴史もある。そういうことではないか。
 ついでに言えば、明治航空基地も岡崎航空基地も、その後、返還され農地になっているぞ。豊山町にある空港は戦後も長く利用され、そのことで地元がどれほど潤ったのだろう。加えて零戦を開発した三菱があったことで潤沢な税収が確保できたのも事実だよね。1万5000人ほどの町が名古屋市の北で合併もせずに生き残っているのは空港、三菱のおかげといっても過言ではない。
 航空産業の礎となった零戦をなぜ見せたくないのか。
 そして、ここが一番の問題なのだが、当時の若者たちが誇りとし憧れてやまない零戦を、こともあろうにドローンと一緒にするとはなにごとか。善光寺様でドローンを墜落させたクソガキと、毅然と戦いに臨んだ誇り高い零戦搭乗員を一緒にするな。
「僕は戦争反対だ」は、どうぞお好きなように。

 いかんいかん、「世界平和度数」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150621-00000021-rcdc-cn&pos=3
とか、「韓国、日本の世界遺産容認」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150622-00000007-asahi-pol
のことも触れようと思ったのに、つい豊山町で筆が走ってしまった。「冒頭の夏至の句はなんだったのか?」ということですが、「ゲゲゲ」と驚いたところで、方針が変わってしまったんですね。絡めようと思ったけれどなんともなりまへんでした。ご容赦。