伝統が新しいものを生む

 一昨日、BSジャパンの「昭和は輝いていた」が小椋佳の特集だった。小椋佳の歌はちょうどワシャらの青春とドンピシャで、何を聴いてもその時代の風景が見えてくる。
「白い一日」はいきつけの喫茶店で流れていた。
「♪〜真っ白な〜陶磁器を〜眺めてはあきもせず〜♪」
シクラメンのかほり」は名駅のレジャック前で聴いたような想い出がある。
 美空ひばりが命を削って熱唱した「愛燦燦」は、自宅の炬燵で聴いたなぁ。
 小椋さんの歌は、メロディーもいいけれど、詩が抜群にいい。その理由として、小椋さんが幼少期に、家が料亭をやっていたことから、長唄、小唄、新内、浄瑠璃などを日常的に聴いて育ったことが起因しているという。それであのせつない歌詞が創られていたのか。とても腑に落ちる話だった。
 古〜い文化、カビの生えた伝統と笑うなかれ。江戸期の庶民を熱狂させた浄瑠璃などがなかったら、小椋佳の名曲群は生まれてこなかったのだ。
 
 もうひとつ。
 篠山紀信による中村屋の写真集が出た。十八代目勘三郎、六代目勘九郎、二代目七之助のそれぞれの写真集だ。全3冊、A3版の超弩級の迫力ですぞ。
http://www.hmv.co.jp./fl/9/1322/1/
 それにしても、勘三郎の表情をながめていると、なんとまあ先代の勘三郎によく似てきたことよ。嗚呼、これから老熟した勘三郎に会えると思うたに……。
 でもね、希望もあるのじゃ。当代の勘九郎七之助の成長が著しい。十八代目が十七代目の様子を醸し出してきたように、勘九郎もかつての五代目勘九郎の雰囲気を漂わせ始めた。七之助も女を演じる五代目の色気が出てきた。う〜む、斜め左からの表情は、まさに若かりし頃の十八代目だった。これが血の継承ということなんだなぁ。