陋劣

 コラムニストの勝谷誠彦さんが、住民税の納税通知を見て、びっくりしたという話がメールに書いてあった。納税額は「フツーの会社なら課長クラスの年収」だそうな。とするなら、勝谷さんはワシャの年収くらいは納めているということになる。すごいな。その前提で「投票」についてこう言われる。
《一銭も納めていない方とこれだけ払っている人間が同じ一票というのはどう考えてもおかしいと思う。》
 大阪で、橋下さんの「都構想」が住民投票で否決された。傾向でしかないけれど、区ごとに特徴的な投票行動があったことが見えてくる。具体的に言えば、生活保護の割合の高いところは、橋本市長の案に否定的だったということである。
 つまり、勝谷さんの言われる「一銭も納めていない方」たちの意向がそれなりに反映されたのだと思う。すべてがそうだとは言わないが、既得権(働かなくても金をもらえる仕組み)にあぐらをかいている連中が、毎日こつことと働いている人と同じ権利を行使できるのはいかがなものであろうか。「民主主義というのは不思議なシステム」ではあるが、だけど代替の仕組みがない。

 昨日の続き、司馬遼太郎さんが「陋劣さに滅入った」政界は、宮澤喜一内閣の周辺のことである。しかし宮澤喜一に対して言っているのではない。宮澤首相を決める時に、面接を実施した小沢一郎とその背後に控える金丸信経世会という政治家集団のことを言っている。さらにその集団を形成した田中角栄まで含めて「陋劣」と指摘する。
 これは「バナナ」に続くエッセイ「法」に書いてある。主題は「選挙」についてである。
《子供の喧嘩でも、汚物を投げつければ勝つにきまっているのに、かれらでさえそれをやらない。が、選挙では、それをやる場合がある。選挙民の一部に対し、かれらの遠い先祖が持っていた汚物のような欲望をめざめさせてそれを刺激するという方法である。このくだり、新潟県人には失礼ながら、田中角栄の越山方式といっていい。》
 汚物を投げていたのは田中角栄で、角栄に連なっている金丸であり小沢だった。
 その小沢は、平成21年に強引な手腕で陛下と習近平副主席(当時)の会談をセッティングした。小沢のやったことはルール違反であるし「陋劣」と言っていいだろう。
 
 大阪にも、岩手にも、その他の地域にも「陋劣」な政治が蠢いている。