女殺油地獄

「おんなころしあぶらのじごく」と読みます。「ごろし」ではなく「ころし」です。
 江戸の名戯作者、近松門左衛門の作で、どうしようもない放蕩道楽阿呆ぼんちの話である。

 昨日、中日劇場で「人形浄瑠璃」があった。二代目吉田玉男の襲名の文楽でもある。昼の部は「女殺油地獄」、夜の部は「仮名手本忠臣蔵」であった。大作は「忠臣蔵」なのだが、今回は、城明渡の段まで。クライマックスの「討ち入り」や「祇園一力」「二つ玉」などは掛けられない。とすると「女殺油地獄」でしょうね。
 残念ながら、ワシャは歌舞伎で「女殺油地獄」を観たことがない。平成21年に、旧歌舞伎座で演じられているが、仁左衛門のそれを観逃している。その前は平成10年に掛けられたそうだが、ううむ、なかなか見る機会の薄い演目のようじゃわい。
 それというのもね、話が救いようがないというか、主人公の与兵衛というぼんちがとんでもないやつなのである。書棚にある『評釈 江戸文学叢書』から引く。
《河内屋与兵衛は幼にして父を失い、継父は、与兵衛が遺児であるので、厳しい躾を憚った。又実母はは子の愛に溺れた為に、与兵衛は歳を追うて無頼の者となった。彼は稼業を励まず、我が家にいるを淋しがって外を出歩き、遊蕩に日を暮し、悪友と交はって凶暴性を助長した。》
 という最低な男なのである。これだけではない。弱きをくじき、強きにへつらい、嘘をつき、嫉妬深く、うぬぼれが強い……いいところなしの大坂男である。これが、主人公ではあまり観たいとも思えないのではないか。だから、あまり掛からないといえる。
 浄瑠璃では、全体的に頼りないなよなよとした男が主人公であることが多い。ワシャ的にはすっきりしないので好物とは言えない。とくに坂田藤十郎、当代鴈治郎では楽しんだことがありまへん。
 でもね、文楽で観ると、少し違う。やはり人形が演じているということが、観るものに安定感のようなものを与えてくれる。「人形がやっているのだから」という思いが、凄惨な「油まみれの殺人現場」を見る(観るではなく)ことに、嫌悪感を抱かせないのだろう。
 しかし、名人たちの操る人形の細かい演技は、演技として「凄い」のである。殺害のその時であるにも関わらず、笑いを取りながら、凄い瞬間を見せてくれる。文楽、侮れじ。