12月に、ごくごく内輪で浄瑠璃の会を開く。このための事前の調べということで、暗いうちから書庫の中でごそごそやっている。
「浄瑠璃」と聞いて「ああ、あのことね」と具体的に理解できる人は素晴らしい。でも、普通の人には、やっぱり馴染が薄いと思う。もちろんワシャも「文楽」や「歌舞伎」で聴いてはいるものの、きちんと説明しろと言われても、なかなかできるものではない。
「浄瑠璃」は室町時代に興っている。厳密に言うと、享禄の頃というから戦国中期である。その時期に広く流布した。
この芸能、西三河とは関わりが深く、その名の由来になった語り物が「浄瑠璃物語」という牛若丸と浄瑠璃姫(三河国矢作の長者の娘)との悲恋物語で、これが享禄年代に人気を博した。そのヒット作の主人公の名が人口に膾炙して、「浄瑠璃」が語り物そのものを指すようになった。
その後、江戸時代に入って、そういった語り物が、いろいろな人の手を経ることで娯楽として完成していく。その総称が「浄瑠璃」ということになる。
広義には、三味線を伴奏楽器とする古浄瑠璃、義太夫、歌浄瑠璃、歌舞伎浄瑠璃を言うが、狭義には義太夫だけを指すらしい。義太夫というとまた面倒くさいけれど、グレート義太夫のことではないですよ。元禄から正徳時代に活躍をした太夫の竹本義太夫のことで、彼が道頓堀に竹本座をおこして操芝居を興行した。それが新浄瑠璃であり、浄瑠璃そのものと言っていい。この時の座付作家が近松門左衛門である。この二人がタッグを組んで「出世景清」「曽根崎心中」「国姓爺合戦」などを上演した。これらの演目、今でも面白いのだから、娯楽の限定されていた江戸時代にヒットしないわけがない。これ以降の人形を使った語り物が「新浄瑠璃」ということになる。
いろいろな呼び名があるけれど、「浄瑠璃」「新浄瑠璃」「人形浄瑠璃」「義太夫節」「文楽」が、微妙に違うが、だいたい同じと考えればいい。
他にも「常盤津」「清元」「新内」「長唄」などがある。みんな浄瑠璃の分派だと思っていただければいい。三味線で分けると、「義太夫」は太棹を使い、「常盤津」「清元」「新内」は中棹、「長唄」「小唄」は細棹なんですね。
「常盤津」は、初代が常盤津文字太夫という人なので「常盤津」という。「清元」も初代の名乗りである。これらが「長唄」とともに歌舞伎音楽の代表的な地位を保ってきた。
唄い方というかうなり方は、「義太夫」は言葉が本位であり、「清元」は歌謡が中心となる。「常盤津」はその真ん中あたりというところか。声の出し方からいうと、「義太夫」は強く、「清元」はやわらかい。「常盤津」はその中間をいくものと考えればいい。
また「義太夫」の声には誇張があり、喜怒哀楽もはっきりしている。「長唄」は声音が単色であるが、「常盤津」は誇張しない感情表現が織り込まれる。「清元」は鼻を使う。
『団子売』『蝶の道行』が「義太夫」で、『勧進帳』『藤娘』が「長唄」。『かっぽれ』『釣女』が「常磐津」で、『お祭り』『浮かれ坊主』が「清元」である。と言われても歌舞伎に興味のない方にはどうでもいいことでした。なんだか解らなくなってきましたが、とにかくこういったものが入り乱れて「浄瑠璃」ということらしい。