文楽は大丈夫

「中日文楽」の夜の部に行ってきた。演目は「壺坂観音霊験記」と「本朝二十四孝」。
「壺坂」は、座頭の按摩の沢一とお里夫婦の信心の話で、この二人以外は、途中で観音様がぼうと出てくるだけで、登場人物は少ない。見どころは、崖から沢一、お里が別々に身を投げのシーン、とくに沢一投身後の、お里の狂乱ぶりは人形の仕どころでもある。その後、沢一の目が開き、朝日の中でうきうきとはしゃぐ二人は見ていて楽しい。
「本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)」である。文楽で観るのは初めてだった。でも、歌舞伎のほうでは、平成18年に御園座で、長〜い狂言の中の「長尾館奥庭狐火の場」のみが上演されている。八重垣姫が芝雀だった。だから印象が薄いのかなぁ(笑)。芝雀だったので、跳ねるようなケレン味がなく、単なる舞踊劇に終わったような印象が残っている。
 ところが文楽インパクトは凄かった。まず桐竹勘十郎の操る狐が登場し、舞台狭しと駆け回る。毛づくろいや尻尾にじゃれる仕草も愛らしく、観客の笑いを誘う。その狐が諏訪法性の兜に憑りつくと、たちまち勘十郎は八重垣姫の人形役として下手から現われる。要するに早変わりである。これがそもそもの原作者近松半二の作劇にあったものか、後の演出であるのかは不勉強で知らない。しかし、その動きは人形という特質を最大限に生かしたダイナミックなものであり、姫が狐に憑りつかれ狐のような仕草をするところは、先代の猿之助の動作を見るようであった。猿之助文楽の動きを真似たのか、文楽猿之助の動きを取り入れたのか分からないが、おそらく前者のほうではないだあろうか。元々が文楽の中にあり、それを歌舞伎が模倣した。そんなような気がする。
 人形ゆえのオーバーなアクション、奇抜な動き、派手な舞、姫を囲むように跳び回る白狐たち、太夫の語りもすべて舞台上の字幕で示されるので、聞き取りにくい浄瑠璃もバッチリだ。
 ちょっと前に能の舞台を観に行った。残念ながら能楽堂はガラガラだった。能もそれまで二番やっていたのが、一番だけになってしまった。衰退が目に見えて分かる。それに比べて、文楽中日劇場だったが9割がた埋まっていた。若い客も多い。笑いや拍手はひんぱんに起きていたし、実際にエンタティメントとして成立していた。小難しい伝統文化から脱却をし始めている。
 前解説の豊竹咲寿太夫もイケメンで話の内容も解りやすく、ところどころに時事ネタ、例えば伊勢志摩サミットの話を挟みながら、観客を文楽の方向へ誘っていく。歌舞伎が大看板を何枚もなくして役者のやりくりに四苦八苦している現状で、その隙間をうまく利用して文楽が作為的にファン層の掘り起こしを始めているように感じた。
 今、文楽がおもしろい。