小学校

 久しぶりに母校(小学校)に行った。小学校区だから自宅の近所にあり、毎日その横を通勤しているわけだが、なかなか立ち寄る機会というのはない。どうだろう、校庭に入ったのも10年ぶりくらい。池田小学校の悲惨な事件以来、学校はネットフェンスで区切られて、近隣住民が簡単に入ることができなくなってしまったからね。
 ワシャが在校していたころは、木造の校舎で、運動場も広かった。しかし、いまは鉄筋コンクリート3階建てになり、道路拡張で校庭は狭められた。でもね、校庭の片隅にある「岩石園」と呼ばれた石の観察園は健在だった。唯一、木造だった頃の面影を留めているなぁ。
 そこは、人工に造った山に郷土の川を模した水流を施し、その周辺に、いろいろな種類の岩を配置してあった。玄武岩とか花崗岩、砂岩とか理科の授業で習ったでしょ。それが岩のサイズで観察できる場所だった。けっこう起伏に富んでいて、トンネルなんかもあり、アホガキの格好の遊び場になった。箒を機関銃に見立てて、仲間と一緒にコンバットごっこ(匍匐前進)をしてよく遊んだものだ。

 おっと、教室で見聞きしたことを書きたくてキーボードを叩きはじめたんだっけ。
 6年のあるクラスを視察させてもらった。国語のグループ学習の授業で、子供の数は35人くらい。教室はとても小さく感じた。ワシャのころは、教室というと、だだっ広い印象が残っているのだが、おそらく狭くするようなことはないので、自分のサイズが変わったということなのだろう。
 女子は、6年ともなると大きい娘がいる。男子にも成長の早い子が何人かはいるけれど、女子の成長はそれを上回っている。3人ほどの男っぽい男子をのぞけば、他の男子は大柄な女子の間にはさまって子供子供してかわいいくらいだ。
 思い出してみれば、ワシャの時の同級生たちも、男子は幼く、女子は第二次性徴が始まっていて、けっこう女性らしい体型が出来あがりつつある子もいたなぁ。
 この時の事業は、タブレット端末を使ったグループ学習だった。子供たちは「キャーキャー」言いながら楽しんでいた。
そんな中に、その喧騒から離れて、独りぽつねんと座っている小柄な男子児童がいた。髪の毛も明らかに他の児童とは違って、長髪はボサボサで艶がない。ジャンパーのようなものを着ているのだが、これも薄汚れている。顔を見ると、痩せた顔が青白く、表情も乏しい。一目で「このこの家庭は恵まれていない」と理解できる。あるいは親がネグレクトなのかもしれない。
 闊達に授業に参加する多くの子供たちに混じって、いやいや混じらずに、少年は窓の外を見ていた。