風呂の話

 ワシャの家の風呂は近くのお寺の駐車場に面している。その駐車場、普段は使わずに大きな法事があるときとか、節分とかの行事の際に開放する。それ以外は閑散としていて、たまに近所の子供がボール遊びをするくらいの場所になっている。その駐車場はワシャの家の土地よりもGLが1mくらい高い。だから駐車場に立つと、我家の風呂がちょうど見下ろせる格好になる。それでも足を伸ばして湯船に寝そべると窓下の腰壁の死角になって見えない。そんな状況だと思ってくだされ。
 ワシャは日々ストレスの多い生活を続けている。趣味も偏っていて、ものぐさだからスポーツもあまりやらない。だから気晴らしに風呂に入る。休みの日の夕方に、わざわざ陽のある頃を選んで湯船に湯をはる。今の季節だと、バスクリンの「シャーベットメロン」を入れて、飲料水や本を持ち込んで、窓を開け放ち、流れる雲を見上げながら湯に浸かる。これがなかなかのストレス解消になる。
 先日のことだった。やはり午後4時頃からそんなことをやっていた。窓はフルオープンで、心地良い風が入ってくる。読んでいた本は、武貞秀士『東アジア動乱』(角川oneテーマ21)。「ランドパワー」「シーパワー」が絡み合って混乱する東アジアの地政学を解りやすく解説してあった。ついつい読みこんでいると、耳元で人の話し声がする。気がつけば、窓のすぐ外で近所の女子中学生が友達とバスケをやっているではあ〜りませんか。
 これは困った。風呂から出るには全開の窓に身を晒さなくてはならず、それこそ「キャー!変態!!」ともなりかねない。仕方がないので、彼女たちの動向を耳で確認しつつ(ワシャ座頭市か)、サッシュの縁に指をかけて、彼女たちに気取られぬように、ソロリソロリと閉めていく。声が近づいてくると動きをピタリと止めて待つ。遠ざかるとまたソロリソロリと……。こんなことに神経を使わなくとも、窓から顔を出して「おう、元気にバスケットをやっておるな、ガハハハハハ」とでも言い放てばいいのだが、そういう豪快なことはワシャにはできない。ゆっくりと窓を閉めると冷えた体をもう一度湯船に沈めるのだった。なるべく音を立てずにね(笑)。チャプン。