公と私

 5月3日の日記
http://d.hatena.ne.jp/warusyawa/20150503
に、池波正太郎の『侠客』の話を書いた。歌舞伎でもおなじみの幡随院長兵衛(ばんずいいんちょうべい)の物語である。苦労に苦労を重ねて父の仇を取る若い時期の話と、侠客になってからの話の二部構成になっているが、これがうまく絡み合って上等な時代娯楽長編に仕上がっている。歌舞伎で知っている幡随院長兵衛の、さらにその前史を堪能することができる。「すぐれた時代小説こそ庶民にとって最良の歴史の教師である」と言われる所以がここにある。
 さて、二つの話の端境にこんなシーンが出てくる。世話になっている幡随院の和尚に、武士を捨て「人いれ宿」(今で言う人材派遣業、江戸時代は現在のそれとは違い公的なものに近い)の頭領になると言い出すのである。それに対して和尚はこう答える。
「おぬしはこれより、人々の長(おさ)ともなって、たくさんの人びとのめんどうを見ていくことになる。それはいのちがけのことじゃ。まず、自分(おのれ)を捨てなくてはならぬ。わがたのしみも安らぎもすべて捨て去らなくては、とてもとても、世のため人にためにつくす、はたらくなぞということができるものではないぞよ」
 ここに池波さんの公と私の考え方が凝縮している。

 先日の「プライムニュース」が松下幸之助を特集していた。
 その中で松下さんが1976年に名古屋商工会議所で行った講演の映像が流された。ここで松下さんは「公と私」について語っている。
《国でも潰すのは一国の支配者である。一国の支配者いかんによって国が潰れる。興すのもまた 支配者である。賢い人は会社を興し国を興す。同時に賢い人は会社を潰し国を潰す。賢い人は非常に危険である。一面非常に希望が持てるが、一面非常に危険である。では、国を潰す賢い人と 国を興す賢い人と どれだけの差があるかというと、紙一枚の差しかない。それで、一方が興す、一方が潰す、大変な違いがある。どこが違うということを煎じ詰めると、結局「私」というものがあるかないかに行きつく。失敗する人には「私」というものがある。一方 成功する人には「私」というものがない。賢さは一緒である。しかし ちょっと自分の「私心」が入ると、非常に差が出てくる》
 最後のフレーズは松下さんのそのままの言葉で。
《一国の首相と言われる人も非常に政治家として立派であると……結構であると。けれども その立派な人であっても「私心」があったら それはあきませんな。一国の首相となる人は全く「私心」のない人やないといかん。そうやないと本当にうまくいかない。》

 司馬遼太郎の『風塵抄』にそのものずばりのエッセイがある。「“公”と私」は1989年6月9日に書かれた。司馬さん冒頭に「手の内をあかすと、私は、いま世界中が注目している中国の政権について考えながらこれを書いている」と前置きをしている。それはこの直前に天安門の大虐殺が起きたところだからである。この言葉に続き司馬さんはこう言っている。
「要人たちが“公”の感覚をうしなったことが、こんどの騒ぎの大因ではないかということである」
 このエッセイの結びは、厳しい言葉が続く。
「地球や人類規模での“公”をかかげるひとびとが天安門広場にあつまったのである。そのような若者たちの“公”の感覚からみれば、中国の官・軍の一部は、存在そのものが腐肉以下といえる」
 司馬さん、汚職官僚たちを「腐肉」と言い切っている。司馬さんが口をきわめるのは珍しい。かなり怒っている。
 それから四半世紀が過ぎ、天安門で“公”が根付かなかった結果、不正蓄財する高級幹部・軍幹部、賄賂で貯めた私財をもって国外に逃げ出す共産党員があとを絶たない。

 はたして習近平国家主席に、私心はありやなしや。