出ないときは出ない

 夕べはまったく飲んでいないので、スラスラと書けるはずなのだが、脳味噌がまったく動かない。出る時は出るんですがね。また後ほど登場いたしヤス。

 

 でも出た。

《香港デモ 抗議活動の拠点に警官隊突入 逮捕者多数》

https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20191113-00000021-ann-int

「香港の複数の学生団体は大学内での警察の実力行使について、1989年の天安門事件の再現だと非難して闘争の継続を呼び掛けています」

 まさに天安門の再現である。すでに中国共産党はタガを外した。何人もの学生が銃で撃たれ、催涙ガス弾を発射され、暴力を加えられている。

 司馬遼太郎が「支那では・・・」という前提で『風塵抄』にこう書いた。

《軍だけでなく、高級幹部のあいだにも、右のような古代以来の“私”がはびこっている。》

「右のような」というのは、「支那の軍団長や高級官僚が、軍や組織を私物化する」という彼の国の病理を指している。もちろん支那の子分の朝鮮半島でも、相変わらず権力の私物化は途絶えることがなく、最近もタマネギ男が身内の便宜を図って法務大臣を辞任してますよね。おっと司馬さんの話だった。

《過去ではそれでもよかったが、現代では“公”という最高の価値基準が、世界と同様、中国においても普遍化していて、そのように、地球や人類規模での“公”をかかげるひとびとが天安門にあつまったのである。》

 支那においても普遍化をしていた“公”の精神は、この30年で中国共産党という全体主義者によって、ものの見事に粉砕されてしまった。

 そして、香港である。香港の若者の希望はまことに心もとない。中共の武力は絶大であり、世界各国は香港が支那の版図に組み込まれている以上、なかなか手を出し辛いことも現実としてある。

 司馬さんが厳しい言葉を放っている。

《そのような若者たちの“公”の感覚からみれば、中国の官・軍の一部は、存在そのものが腐肉以下といえる。》

 腐肉ですぞ。皮肉ではなく腐肉以下ですぞ。司馬さんにしてはかなり厳しい言葉遣いと言っていい。

 司馬さんの指摘からすれば、香港特別行政区の林鄭月娥長官は腐肉以下である。しかし、このカオスのような現状を打開するとしたら、林鄭月娥の存在しかないと思う。彼女が香港の“公”のために命を懸けるとしたら、あるいは香港の大混乱は収束するかもしれない。

 なにをするか。

 それは、香港警察に「香港市民に手を出すべからず」と命令を下すこと、そしてそのことを全世界に発信すること。香港のメディアを使えばまだ間に合う。そうすれば林鄭月娥という名前は世界史の中に刻まれることであろう。何百年も香港民主化運動を支えた名行政官として名を残す。あるいはそのことで中共から迫害されるかもしれない。おそらく現状の中共の苛烈さ、狡賢さ、巨大さから言って、林鄭月娥が一人で踏ん張ったところでどれほどの力になろうか。しかし、香港市民を守るために最後の最後で立ち上がった偉大なる行政長官として、死してなおその功績は末代まで語り継がれるだろう。

 でも、無理だろうけどね。

 香港から“公”が駆逐され、また“私”ばかりに血道を上げる私国の領土が増えるばかりである。