昨夜、突然にこのニュースが飛び込んできた。
《李登輝元総統死去》
https://news.yahoo.co.jp/articles/c5c05e6fefa8b68a85c068cd54330cc682f7e518
おそらく世界史の中でもトップクラスの名政治家であったことは論をまたない。現在の民主的な自由な健康な台湾があるのも、ひとえに李登輝さんの存在があったからである。20世紀後半にこの総統が現われたことがどれほど台湾のためになったことであろう。そして、日本のためになったことも間違いない。
そもそも李登輝さんは22歳まで日本人として日本人の教育を受けた。旧制高校を卒業し、京都帝国大学に学んだ。日本語を日本人以上に使いこなし、日本の書籍を渉猟した。特別の親日家で、台湾と同様に日本を愛してくれた。
ワシャは李登輝さんを敬愛している。訃報に接して、この時ばかりと「尊敬していた」とか言い出す輩とはちょいと腰の入れ方が違う。
李登輝さんの著書『「武士道」解題』(小学館)は日本人が読むべき名著だと思って何度も読み返している。その他にも『李登輝訪日 日本国へのメッセージ』(まどか出版)、『李登輝学校の教え』(小学館)、『李登輝伝』(文藝春秋)など、李登輝さんに関連する書籍は何冊も購入した。『慈悲與寛容』(TauwanNews出版)という本は、思わず195元で買ってしまったが、すべて漢文なのでなかなか読めないのであった(笑)。
それは脇に置いておいて、その中でも、やはり司馬遼太郎『街道をゆく40』が李登輝さんを語っている中では抜群の出来であった。当たり前ですよね。司馬さんが李登輝さんを描くのだから。
司馬さん、李登輝さんに初対面した時のことをこう記している。
《会う前から懐かしさをおぼえていたのは、ひとつには、この人も私も、旧日本陸軍の予備役士官教育の第十一期生だったことである。》
先の戦争で司馬さんも李登輝さんも若き士官としての軍歴を持っている。だからお二人とも背骨がしっかりと伸びているのだ。
司馬さんは続ける。
《本島人には小柄な人が多いのだが、この人は例外といっていい。身長一八一センチで、しかも贅肉がない。容貌は下顎が大きく発達し、山から伐りだしたばかりの大木に粗っぽく目鼻を彫ったようで、笑顔になると、木の香りがにおい立つようである。》
これほど李登輝という人物を言い表した言葉をワシャは知らない。朝日新聞が今朝の新聞で4面を費やして李登輝さんを語ろうとも、この百文字余の2つの文が全てを言い表していて凄い。さすが司馬さん。
『街道をゆく』で2章にわたって李登輝さんのことを語っている。さらに『台湾紀行』の巻末には司馬さんと李登輝さんの対談「場所の悲哀」が収録されていて、まさに『台湾紀行』は台湾を語るべくして『李登輝』を描いているのではないかと思ってしまう。人間通の司馬さんが、最晩年に「台湾に凝った」のも、李登輝という不世出の人物に出会ったからに他ならない。
司馬さんは李登輝さんを「公」の人だと断言する。全身が「公」で固められた大人と語り合えることが嬉しくてしようがない。そんな跳ねるような気持ちが行間からにじんでいる。
この対談が行われたのは江沢民の時代であった。その大陸の政権はまったくの「私」であり、司馬さんがもっとも嫌う形態である。その独裁国家をこう指摘している。
《過去に市民社会や法治国家を経験してこなかった。だから天安門事件が起きる。台湾はおれのものだという。これは十九世紀以前の領土と版図、あるいは雑居地の区別もなかったころの東洋的センスですね。》
《中国のえらい人は、台湾とは何ぞやということを根源的に世界史的に考えたこともないでしょう。中国がチベットをそのまま国土にしているのも、内蒙古を国土にしているのも、住民の側からみればじつにおかしい。毛沢東さんも初期の少数民族対策は理念としてよかったが、実際には内蒙古もチベットも、住民には大変苦痛なようですね。それをもう一度台湾でやるなら世界史の上で、人類史の惨禍になりそうですね。》
現在、司馬さんや李登輝さんが心配していたように、頭から「私」しかない独裁国家は、内蒙古、チベット、ウイグルと周辺の民族を大惨禍に陥れて、次に香港を、さらに台湾を、ベトナムを、ブータンを、インド国境を「私」の利益のために蹂躙しようとしている。辛うじて台湾は李登輝さんの薫陶を受ける蔡英文総統が踏ん張ってくれている。しかし、日本はというとかなり心もとない。
李登輝さんが病気療養で訪日をしようとしたとき、支那共産党に慮った親中派、獅子身中の親中派が、李登輝さんの訪日を拒んだのである。その中の旗振り役に二階がいたことは間違いない。
そんな「私」の政治家が大手を振って国会を闊歩しているのが日本という国なのである。
繰り返す。李登輝さんは全身が「公」であり、政治家として必要なものは、というか人として必要なものは「公」であって、自分の腹を満たすなどという「私」は犬のクソ以下のシロモノなのである。
李登輝さんは『「武士道」解題』の中でこう言われる。
《「武士は食わねど高楊枝」という毅然たる生き方はいったいどこへ行ってしまったのでしょう?国家百年の大計に基づいて、“清貧”に甘んじながら、未来を背負って立つべき世代に対して「人間いかに生きるべきか」という哲学や理念を率先垂範して見せてくれていたはずの高級官僚や政治家、経営者などのトップ・リーダーたちまでもが、私腹を肥やすことに汲々とし、国家や国民のことなど、すなわち「公」的なことを何ひとつ考えていなかった、としかいえない現実を知ったとき、若い人々がどんなに大きな衝撃を受けたか想像に難くありません。》
台湾で「公」の象徴のような人が逝った。はてさて次の「公」は誰が背負ってくれるのやら。