子供が大切

 最近は「子ども」と表記することが多いらしいが、ワシャは「子供」と書く。

 子供の日に少し考えたい。
 経済的に恵まれない夫婦、精神的に貧困な夫婦は、残念ながら存在する。経済的に恵まれない夫婦に生まれた子供は、まだ幸いである。貧乏が必ずしも子供の成育に悪い影響ばかりを与えないからである。貧しい家庭に育っても、名をなし功なりあげた偉人は多い。
 しかし、精神が貧困な夫婦のもとに生まれてしまった子供は悲劇だ。これに経済的貧困が重なると目も当てられない。
 子供を鳥のゲージに入れて食事を与えない。殴ったり蹴ったりして殺してしまった。そんな事件が後を絶たない。朝のテレビで猫をあつかった番組があるが、母猫の子猫に対する愛情はいかばかりであろうか。夕べ、ボツワナの象の家族を追いかけたドキュメンタリーを放送していたが、小象を守るために家族は必死で戦っている。猫も象も畜生である。自分の子供をしつけと称して苛むバカは人間である。人間だけれども、猫や象以下の畜生供と言っていい。獣ですら、我が子の死を受け入れられず、その場から離れられず、群れからはぐれてしまうようなこともあるそうだ。
 子供の数が前年より16万人減少し、過去最低の数値になった。子供は未来を背負う大切な存在である。この貴重なものを畜生以下のバカどもに預けておいていいのだろうか。
 そんなものは、さっさと公共が「あなたには育てる資格がありません」と認定し、バカどもから子供を取り上げてしまえばいい。狭いアパートの一室で鳥籠に入れられて、食事も与えられない、与えられるのは憎悪と暴力だけというような地獄より、児童養護施設での生活のほうが百万倍も幸福だと思う。
 産んだ、産ませたから、戸籍上の親だから、同居しているから、子供の殺生与奪の権まであると思うのはバカの傲慢である。

 三重県桑名市の「上げ馬神事」が始まった。馬と子供が100mの馬場を駆け抜け、2mの高さの壁を駆け上る。この神事が動物虐待に当たらないかどうかを確認するために監視員が10人張り付いているんだとさ。監視が厳しくて馬が緊張し、今年はついに馬が壁を登らなかったとさ。馬が登らないと今年は不作になる。
 おいおい、動物愛護原理主義者よ、そんなくだらぬバカな監視をしている暇があったら、人間の子供の虐待を監視してくれ。