林秀彦『「みだら」の構造』(草思社)にこんなフレーズがある。
《ふだんは寸分の隙もなくきちんと着こなしている女が、ふとしたはずみで裾を乱す。みだらはそこから生まれる。》
《乱れるということは、それ以前の乱れていない状態、つまり正調の状態が、不可欠となる。最初からよれよれに乱れた格好をしている女性が、その上に裾を乱していても、少しもみだらにはならない。》
昨日、隣町にでかけた。信号待ちをしていると、交差点の角のファミレスにでっぷりと肥えた夫婦が入っていく処だった。時間は午後2時を少し回っている。遅い食事だな。夫婦ともジャージ姿で、クロックスをつっかけている。女のほうはジャージの下がずり落ちて腹を出している。そればかりか後姿を見れば半ケツがはみ出していではないか。なんというだらしない格好だろう。でもね、ケツがはみ出していてもこんなのは「みだら」でもなんでもない。単にみぐるしいだけだ。最近、ジャージにツッカケというスタイルで街をうろつく人種を目にするようになった。こいつらは一様にだらしがない。公とプライベートの区別がつかない連中である。
このみぐるしい女、歳の頃なら30代前半といったところだろう。少しやせて、きちんとした格好をすれば、もう少しまともになると思うのだが……。
これはワシャの主観だが、だらしない格好をしている種族にデブが多いような気がする。スーパーの食品売り場でもジャージでペタペタ歩いている連中はたいてい太っている。
三浦展『貧困肥満』(扶桑社新書)では、だらしない連中=デブをこう理由づけている。
《最大の要因は、低所得者層が買う安い食べ物ほどカロリーが高いということです。》
アメリカの事例と前置きをしてこうも言っています。
《教育レベルの低さと子供の肥満度は比例していて、家が貧しいと、毎日の食事が安くて調理の簡単なジャンクフードやファストフード、揚げ物中心になる》
三浦さんは、正しい食事をして、適度な運動をして、肥満から解放されることを「階級闘争」だと言っている。
この「階級闘争」に打ち勝つために、外出する時は、裾を乱すと、男どもをドキッとするような寸分の隙もない格好で出歩きましょう。もちろんこれは男にも言えることで、常にきちんとした格好をすること、これがしっかりした社会を作っていく基礎だと思いますがいかがかな。
じゃないと、「みだらが活き活きとしてこない」三浦さんはそう言っている。なんのこっちゃ。