昨日のつづき

 かなり前に、ある新聞社の論説委員と話をしていて「政治家ってのはある程度、社会とか人生を知ってからでも遅くはないのではないか」ということを言われていたのが印象として残っている。その時は、岐阜県美濃加茂市長の判決が出た直後で、「若い首長がほんとうにいいのかどうか」が切っ掛けとなって議論が始まった。
 ワシャは「若くても、モノがよければ首長を含めて政治家になってもいい」というスタンスで主張をし、その人は「政治家になるのは、人生の酸いも甘いも噛みわけられるようになってからで充分だ」と言う。
 確かに、上西小百合衆議院議員のカメラの前での行動は稚拙だ。巻き舌の秘書もいきがった高校生のようだわさ。このレベルがままごとのような政治をやっている。これは上西議員だけに限った話ではない。国会議員をはじめとして、日本全国津々浦々に中学校の生徒会の延長で、政治をやっている輩が多い。
 横峯良郎という女子ゴルファーの父親が参議院議員を6年間務めた。人生経験ということであるなら美濃加茂市長や上西議員よりも豊富にあっただろう。交友関係だって、芸能人から暴力団まで幅が広い。だから若造や小娘よりモノがいいのかというと、それはまた違うと思うのである。そもそも政治家の資質をもっていない人、頭が回転しない人、志のない人、こんなのが「政治家でござい」とまかり通ってしまうご時世は、本当に大丈夫なのだろうかと言いたい。
箸にも棒にもかからぬようなゴルフ好きのオジサンに何億円という国費を投入していたんですぞ。本会議をずる休みして、飲み歩いていたネーチャンは、まったく議員を辞める気もなくて、ずるずると税金で食っていく決心をしたそうだ。
 明治維新の折のように、草莽のあいだから、次世代を担う光り輝くような政治家は現れないものなのだろうか。