「月刊ウイル」の加地伸行さんの巻頭言「朝四暮三」が毎回おもしろい。支那中国の古典から文を引き、そこを落としどころに直近で起きた事件・事故などを分析し、そして具体的な改善案を提示する。この「具体的な改善案」というものが、数多の評論家にはできないところである。加地さんの提案をこつこつと実践していくだけでも、我が国はずいぶんとよくなるのではないか。そう思う。
最新号(5月)は川崎の中一殺害事件だった。テレビに登場する有識者・知識人と称する連中は「スマホのLINEが問題だ」とか「親は日ごろから子どもの言動を監視せよ」とか「子どもの友人を把握せよ」とか、ワシャでも言えることを真顔で発言していちゃダメでしょ。
ワシャにも息子が二人いる。彼らが中高生だったころは「過激なゲームが問題だ」と言われた時代だった。「言動監視」「友人把握」は当時からももっともらしく評論家が言っていたなぁ。
うちの中高生は、ゲームもやっていたし、アニメも見て、コミックも読んでいた。ワシャは、やつらの言動を監視したことはなかったし、クラスメートもクラブの仲間も一人も知らない。家を出てから何をしているのか、幼稚園に入って成人をして、社会人になって今でもそんなもの知るもんか。でも子供たちはまともに生きている。
加地先生は言う。
「新聞・テレビ等が伝えるそれらの意見を、老生、読み聞きしたが、ほとんどが役に立たないつまらないものだった」
そう思います。マスコミに登場する知識人タレントは視聴者や広告主に媚びている。だから空疎な空論ばかりだ。
その点、加地先生は具体的である。殺人やイジメなど中高生が荒れている根本原因を特定している。
「現在の中・高の学習内容は量も多く、また難しく、十分に理解できない生徒が大半であり、学習がすこしも楽しくないのだ……」
ワシャが中学校の時にクラスには40人の級友がいた。その中で授業を自主的に理解した生徒は10人に満たなかった。残りの10人は教師が懇切に教えることで、ようやく判るレベル。その下の10人は解るところがあるとはしゃぎ、解らないと沈黙をする、そんな感じだった。最後の10人は苦行をする禅者のようにひたすら沈黙をつらぬいていたものだ。
学力のない10〜20人にあの時代が楽しいわけがない。目の前に積まれた膨大な教科書は、江戸の罪人の前に置かれた石抱きの石だったろう。
加地先生は言う。
「勉強のできない子供たちまで、進学させることはないと。身の丈にあったコースを選ばせればいい」
中学を出て、立派な職人になった人もいる。落語家だって中学卒なんてぇのはいっぱいいた。学歴だけが勝ちではない。そういった価値観に立って教育改革をすることが子供の犯罪をなくすことにつながる。
詳しくは加地先生の巻頭言をご覧あれ。