昨日の続き

論語』為政編の四章
「子曰(のたま)わく、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(した)がう。七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず。」
 訳は「先生が言われた。私は十五歳で学問に志し、三十になって独立した立場を持ち、四十になってあれこれと惑うことなく、五十になって天命をわきまえ、六十になって人の言葉を素直に聞くことができ、七十になると思うままにふるまっても、それで道を外れないようになった」というもの。
 この従来の解釈は違うんじゃないかと、『本当は危ない「論語」』(NHK出版新書)の著者の加藤徹さんが言っている。加藤さんの意訳を引く。
「わしは、今でこそ先生などとたてまつられているが、十四までは学問が好きじゃなかった。二十九まで自立できなかった。三十九まで自信がなかった。四十九まで天命をわきまえなかった。五十九まで人のいうことを素直に聞けなかった。六十九まで、やりたいことをすると、やりすぎてしまった。まあ人生なんて、そんなものだよ」
 この章を、孔子の「勝ち自慢」ではなく「負け自慢」だと解釈すれば、小人はずいぶんと楽になる。
 聖人といわれた孔子様でもこの程度だったのだ。ワシャのような凡人は、今ぐらいの生き様でちょうどいい。