戦国策

「WiLL」5月号の加地伸行さんの巻頭言「朝四暮三」が毎回おもしろい。今回は『戦国策』から「狂夫之樂 智者哀焉。愚者所笑 賢者察焉」を引く。(狂夫の悦楽は、知者、焉〈これ〉を哀しむ。愚者の嘲笑は、賢者、焉を戚〈うれ〉う)と読む。現在の日中関係を、これになぞらえて、狂夫、愚者は恐るるに足らないと言う。

 同じ『戦国策』の中にワシャの好きな「凄まじい話」が出てくる。こっちのほうが「狂夫云々」よりも有名だ。
「士為知己者死」(士はおのれを知る者のために死す)
という故事である。
 春秋時代末期、予譲という士が、范氏、中行氏と仕えたが、重く用いられなかった。その後、知伯という有力者に仕える。この男が予譲に目をかけた。やがて知伯は悪行のために滅ぼされるのだが、予譲はその恩を忘れず、想像を絶する苦しみを自らに課しながら仇をねらう。体に漆を塗り、炭を飲んで喉をつぶして変装し、二度のチャンスを得るのだが失敗する。一度目は許された。二度目は許されなかった。予譲は「忠臣は名のために死す」と言って自決をした。
 この逆の例が日本にある。筑前太守の黒田長政を見限って退転した後藤又兵衛である。父黒田官兵衛は又兵衛のことを正確に評価した。しかし、息子の長政には又兵衛の大きさは理解できない。小さな器で大きな器を量れない道理である。
 又兵衛はおのれを貫いた。その9年後、ようやく大坂に死に場所を見つけた。大坂の陣である。豊臣秀頼は、又兵衛を高く評価した。落日の豊臣家ではあったが、又兵衛、華々しい合戦をみせ、死して後世に名を残した。おそらく命尽きるその瞬間に、『戦国策』の一文が去来したのではないか。

 ううむ、いつも加地先生の巻頭言には刺激をいただく。『戦国策』を読み直そうと思い始めている。