大切なことは忘れない

 昨日、ある会議で、その会を主催する会長があいさつの中でこんなことに触れた。
 それは4年前の甲子園での宣誓の話である。中日新聞だったと思うが、そこに載っていた岡山創志学園高等学校の主将の宣誓を泣きながら紹介をした。
 いつもは割としっかりものを言う、どちらかというと強面の会長だと思っていたが、意外な面を垣間見て、思わず微笑んでいる自分かいる。微笑みながら感動していた。
 文面を引いておく。
《宣誓。 私たちは16年前、阪神・淡路大震災の年に生まれました。今、東日本大震災で、多くの尊い命が奪われ、私たちの心は悲しみでいっぱいです。
被災地では、全ての方々が一丸となり、仲間とともに頑張っておられます。人は仲間に支えられることで、大きな困難を乗り越えることができると信じています。
 私たちに、今、できること。それはこの大会を精いっぱい元気を出して戦うことです。
「がんばろう!日本」。生かされている命に感謝し、全身全霊で、正々堂々とプレーすることを誓います。》

 昨夜の報道ステーションである。ワシャは古館伊知郎は好きではない。報道ステーションの報道スタンスも嫌いだ。しかし、夕べの番組の「核の廃棄処分」に関する特集はおもしろかった。
 フィンランドは、世界初となる高レベル放射性廃棄物の永久地層処分場「オンカロ」に埋める。その期間10万年である。
人類の歴史が明けてから1万年しかたっていない。磨製石器をつかって狩猟・採集をしていたんですぞ。
 10万年という途方もない時間をどの為政者が管理できるのだろう。そんなものファンタジーの世界に踏み込んでしまっていると言っても過言でない。それでもフィンランドは現実的である。10万年のファンタジーとしても核の廃棄物処分場を造らなければ原子力発電所を稼働できない仕組みになっている。言い古されてはいるが、マンションに例えるなら、メゾン・フィンランドは「貯留式のトイレはあるが自室から外に出せない。汲み取りは10万年後にやってくる」ということになるだろう。
 便器が壊れた日本荘では、糞尿をビニール袋に入れたまま放置するしか方法がない。建てつけも悪くグラグラ揺れるし、雨が降ると糞尿が家の外にしみ出している。これはまずいでしょ。経済優先の経済人が安いエネルギーが欲しいのは理解できないでもない。しかし「今」の話ばかりではなく10万年のスパンに立って考えてほしいものだ。無理だと思うけど。