論語はおもしろい

 評論家の呉智英さんの「論語」講義に刺激を受けている。この間の講義は、孔子の弟子の話だった。顔回子路、子貢などなど興味深いエピソードが満載で、2時間があっという間に過ぎる。
 その余韻が忘れられず、呉さんの『現代人の論語』(文春文庫)を読み直した。やっぱ面白いっす、先生!小難しい人生訓・名言集のような読み方になってしまうところを、この本は「論語」の本質をえぐっている。呉さんのあとがきを引く。
《二千五百年前、人類史の中に初めて登場した思想家孔子の苦悩と自信、使命感と挫折感を、論語の原文に即して紹介したものだ。思想の消費の果てに知の荒廃が進むと現在、思想の原点を見つめるきっかけになれば……》
 古代の支那に颯爽と登場した聖人、多くの弟子に囲まれ孔子教団を主催する大人、そんなイメージを持っていたが、実のところ孔子は、とても人間臭く、いろいろなことに悩んでいた普通のおじさんの顔を持っている。奇蹟を起こすスーパーマンではないのだ。
『現代人の論語』の中で「宰予(さいよ)」という弟子に触れている。孔子は弟子のよいところを見つけて、そこを褒めて伸ばす。しかし宰予については、敵意をむき出しにして論争をした。論語の記載からも宰予に対して好意的ではない。
 でもね、鼻の頭に汗をかきながら、弟子に言いこめられている孔子というのも意外性があっていいと思う。
論語』に興味のある方は、呉さんの『現代人の論語』もご一読を。