孝行はしたいけれども親別居

 昨日の朝刊に「SAPIO」1月号の宣伝が載っていた。そこに評論家の呉智英さんの名前があった。呉さんの文章が載っているなら「買い」だ。早速、書店に寄って「SAPIO」を購入する。
今月号の特集のひとつは《親兄弟との縁の切り方》である。その中にある呉さんの論説の切れ味がいい。
 題は《孔子は「親孝行」をせず、釈迦は親を捨てた》とある。孔子論語で「孝」を説くが、孔子本人は「孝」を尽くしていなかったという内容が語られていて、そのあたりのことを知ってから『論語』を読むと、また違った味わいがあると思う。
 呉さんが常々言っておられるように、なにしろ『論語』はおもしろい。

 その特集の中に、ある「事件データ」があった。1978年以降の、殺人事件の検挙件数に占める「親族間」の割合である。それが1990年ごろから増加しているというのだ。現在では殺人事件の53%以上が「親族間」で発生しているという。
 あまり殺人事件のことなどは話題にしたくないのだけれど、昨日のニュースで、 名古屋市守山区の49歳の男が母親を刺殺したことが報じられた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141204-00000041-mai-soci
 動機などについては、いまのところ不明となっている。
 これも昨日のニュースだ。三重県で36歳の男が父親を絞殺した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141204-00000030-mai-soci
犯人は「父親の病気を苦にして」と言っている。真実とするなら、現代版「高瀬舟」なのだろうか、これも真相はわからない。

 最近、こんな話も耳にした。ある知人女性のことなのだが、その女性はとあることから両親と絶縁しているという。実の親子なのだが、同じ市内に住みながら、まったく交流を断ってしまった。おそらくそんな例は珍しくないのだろう。
「SAPIO」編集部はこう結論付けている。
 家族に対しての「なぜわかってくれないのか」という依存心、甘えが悲劇のもとなのだそうな。自分でも自分のことが解らないのに、家族が全部理解できるわけがない。いわんや他人をおいておや。

 家族の崩壊と言われるようになってからずいぶんの時間が経っている。もう大家族なんて夢のまた夢なんだろうね。おいちゃんが上座にすわり、おばちゃんが台所で働き、博、さくら、満夫、そしてふらっと帰ってきた寅が馬鹿話をして笑っている、なんて風景はワシャの町内を見渡しても一軒もなかろう。
 そういったことから考えれば現代人は孔子と同じと言っていい。