楽しい論語塾 その1

 昨日、久々の論語塾。いよいよ残り2回で『論語』(岩波文庫)を完読する。約2年の講座だったが、呉智英先生の緻密な講義を聴いて「論語」というものの見方がまったく変わってしまった。次は、10月18日(日)から「荘子」が始まる。道家の思想家たちによって著された書で「老子」と併称される古典中の古典だ。楽しみだな〜。テキストは『荘子金谷治訳注(岩波文庫)全4巻のうち、第一冊「内篇」である。中国古典に興味のある人は、「なごや博学本舗」の情報に要注意だ。

 さて、昨日の論語塾は、「李氏篇」の後半から始まった。近世に寺子屋教育などで使われた初歩の教科書に「庭訓往来」とか「女庭訓」というものがあるが、「庭訓」ってなんじゃと思っていたが、出典は「論語」にあったのね。
「李氏篇第13章」に孔子の教えを長男の伯魚が語るくだりがある。伯魚が庭を走り過ぎようとするときに声をかけられたので「過庭の訓」と言われ、そこから「庭訓」が子どもの教育というような意味を持つことになる。う〜む、勉強になるのう。
「陽貨篇第14章」には、「道聴塗説(どうちょうとせつ)」が出てくる。「道に聴いて塗(みち)に説くは、徳をこれ捨つるなり」つまり、「物事を聞きかじっただけで、知ったかぶりをして受け売りだけで人に話して終わりというのでは、徳を捨てるようなものだ」ということ。聞きかじりでいろんなことを口走っているワシャには耳が痛いわい。
(下に続く)