三井寺

 ふと目を覚ますと、西側の窓が明るい。カーテンをよけて外を覗くと、立冬の空に後夜の月がかかっている。
 能の演目に「三井寺」というものがある。また能の話かいな、と言わないように(笑)。この能、けっこう長い。それでも一言でいうと、人買いにさらわれたわが子を捜し歩く母の物語」である。これでは短すぎるので、もう少しストーリーを書きたい。
 母は清水寺こもって人買いにさらわれた愛児との再会を一心に祈願している。ある夜、霊夢を見る。それによれば「愛児に逢いたければ近江の国は三井寺を参詣せよ」とのこと。
 場面は換わり、近江園城寺三井寺)。ここで僧や小僧(これが探し求める愛児の千満丸)、能力(下働き)が月見をしている。そこに母が現われる。三井寺の来歴などを語り、能力が止めるのも聞かずに、境内に上がって鐘を打つ。ここで母は「〜後夜の鐘を撞く時は、是生滅法と響くなり〜」と謡う。
 その母を見て思い当たった千満丸は、師僧を通じて声を掛ける。ここで母と千満丸は母子であると認め合って、涙の対面をするのだった。その後、二人は連れ立って故郷に戻り、幸せに暮らしましたとさ……という話である。

 先日、こんなことがあった。
 とある施設で、閉館時間になっても帰らない女の子がいたという。どうだろう、小学生の1年生か、2年生か。係員が確認すると、母親と一緒に来ていたのだが、母親が家に忘れ物をしたか、し忘れたことがあったとかで、子供を施設に置いて、自宅に帰ってしまったらしい。
 母親が戻らないうちに施設は閉館時間となり、女の子は、人のいなくなった施設のソファーに一人ぼっちで座っている。これを見つけた係員が、話を聴いて、事務所に連れてきた。女の子は、閑散とした事務室で絵本を読みながら母親が来るのを待っている。
 係員が、飴とかお菓子を差し出すと、女の子は、驚いたような顔をつくって喜んでくれた。ずいぶん気を使っている、というか笑顔が慣れている。
 結果、女の子は1時間くらいを事務所で過ごし、迎えに来た母親と一緒に帰って行った。泣き出すのか、と心配したがそんなこともなく、それが日常であるように、親子で何かを話しながら帰って行った。

 大多数の母親は、もちろんわが子を愛し、慈しみ、大切に思っていることは間違いない。

三井寺」が悲劇でなくてよかった。