昨日、友だちと待ち合わせて能を観にゆく。
名古屋能楽堂で、名古屋宝生会の定式能があったのである。番組は「小袖曽我」と「小鍛冶」、狂言は「空腕(そらうで)」だった。
「小袖曽我」は、いわゆる曽我物。一富士(曽我兄弟)、二鷹(忠臣蔵)、三なすび(鍵屋の辻)で、縁起がいいので正月の演目になる。歌舞伎でいうところの「助六」や「寿曽我対面」につながる曽我物の原点のような能と言っていい。
物語は、兄弟が母親を訪ねるところから始まる。父の仇の工藤祐経を富士の巻狩りの際に討つ決心をして、頼朝主催の巻狩りに乱入すれば、まず、生きて帰れる見込みは立たない。だから、敵討ちの前に暇乞いをするためにやってきたということ。
歌舞伎でも能でも、弟の五郎は乱暴者で母から疎まれている。ここでも、母は五郎を許さない。一所懸命にとりなす十郎(兄)だったが、母は聴き入れない。しかし、最後には五郎の勘当を許し、めでたい門出に祝杯を挙げて、兄弟は相舞を舞って、富士の裾野の巻狩りに出かけるのであった。
というお話である。見どころは、なんといっても十郎(内藤飛能)と五郎(辰巳大二郎)の若き能楽師の相舞だろう。まだまだ荒削りだが勢いはある。また、母を揖斐愛が演じている。愛ちゃんのよく通る声も聴きどころだ。
もう一つの「小鍛冶」である。
刀匠三條宗近(さんじょうむねちか)に一条帝から剣を打つ命が下る。宗近は、自分と同様の力を持った相鎚を打つ者がいないために打ち切れない、と訴えるが、使者は聞き入れない。
進退きわまった宗近は、氏神の稲荷明神に参詣し助けを求める。そこで宗近は、不思議な少年に声をかけられる。少年は、剣の威徳を称える中国の故事や日本武尊(やまとたけるのみこと)の物語を語って宗近を励まし、相鎚を勤めようと約束して稲荷山に消えていった。
家に戻り宗近が身支度をすませて鍛冶壇に上がり礼拝していると稲荷明神のご神体が狐の精霊の姿で現れる。面は「大飛出」
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白頭(しろがしら)の上に狐の冠をいただく。
この精霊が相鎚を勤め、剣は無事に鍛え上がった、という話。
曲の展開、変化に富んでいるので、前半、後半ともに見どころが多い。人気の曲でもある。前半では宗近の前に現れた子供が、名剣の霊験を語るところ、後半は相鎚を勤める精霊と宗近が剣を鍛えるクライマックスがよかった。
狂言の「空腕」は、太郎冠者の臆病ぶり、ウソの武勇伝をとうとうと語るところが見もの。ただ、シテの佐藤友彦がけっこうな年齢なので、ホラを吹いて自分を飾ろうという青臭さが出てこない。逆にアドの鹿島俊博あたりが演じると面白かったかもしれない。
その後、友だちと円頓寺界隈をうろついて、亀島の隠れ家のようなカフェでプレモルで一杯やったのだった。めでたしめでたし。
その後、二次会も行っちゃったのだ。あ〜楽しかった。