嫌いなことが得意

 休日はありがたい。夜明け前からバタバタと書庫を走り回らなくてもいいからね(笑)。走り回るほど広くもないか(苦笑)。

大脱走」という映画を覚えておられるか。1963年の作品で、戦争映画の中でも名作と言っていい。ワシャの中では洋画ベスト10に入ってくる。もちろんトップは「ローマの休日」ですけどね。
 この物語、実は実話なのである。
 ワシャの書棚に「現代世界ノンフィクション全集」が揃っている。その第17巻に「大脱走」が収録されてある。書いたのは、オーストラリアのジャーナリストであるポール・ブリックヒル。彼はオーストラリア空軍に所属し、北アフリカロンメルと戦って捕虜になった。その後、ドイツの収容所に送られて大脱走を体験する。
 映画にもどる。この物語にダニー(チャールズ・ブロンソン)というトンネル掘りが登場する。彼が中心となって収容所からの脱出用トンネルを掘っていく。連合国側では有名なトンネル屋で、彼がデュラーク・ルフト収容所にやって来ると、捕虜たちから大歓迎をされたものである。
 ダニーは期待に応えて何本ものトンネルを掘るのだが、そのいくつかは発見されて破壊された。しかし、めげることなくまた新たなトンネルを掘っていくのであった。
 そして大脱走の夜、ダニーの真実が明かされる。彼は重度の閉所恐怖症だったのだ。閉所が嫌だから必死にトンネルを掘っていたというのである。展開に少し無理があるが、作業を進めるうちに悪化したとも解釈できないこともない。とにかく「もうトンネルに入るのは嫌だ!」と泣きわめくダニーを、親友のウイリーが説得をして一緒に脱出するのだった。この2人が大脱走の数少ない脱出者になる。

 今朝の辛坊治郎の「ウェークアップ」
http://www.ytv.co.jp/wakeup/
で、北海道別海町の婚活の話を取り上げていた。別海町は酪農の町なのだが、後継者不足や嫁不足に悩み全国に働きかけているという。
 酪農というのはとても大変な仕事である。ワシャのような根性も力量もない人間には務まるものではない。生き物が相手なので、365日の仕事である。早朝から深夜まで、あるいは牛に何かがあれば夜っぴて世話をしなければならない。楽を是とする今どきの風潮とは逆行する仕事なのである。
 1973年に製作された「男はつらいよ・寅次郎忘れな草」の中で、まさに現代人の代表のような遊び人の寅次郎が牧童となって働くエピソードが挿まれてあるが、一日ともたずダウンしてしまう。
 倉本聰の「北の国から」でも折り返し折り返し、北海道の農業・酪農の厳しさが描かれている。離農、故郷を捨てる、というのもこのドラマの重要なテーマの一つだった。
 話が逸れているが、なにが言いたいかというと、「ウェークアップ」の報道映像の中で、別海町で一所懸命に酪農を業として生きている若者たちが、それこそ必死になって大阪からやってきた女性たちをもてなしているのを見て、閉所恐怖症なのにトンネルを掘り続けたダニーを思い出したということなのである。
 婚活に参加していた小太りの31歳の若者はいい顔をしていた。おそらく牛を相手にすれば彼はいっぱしの酪農家なのだろう。しかし、人間の女性が相手となると、これはちと勝手が違う。彼の戸惑いが画面からヒシヒシと伝わってくるのだ。
 大阪から来た女性たちも、現地に来て、現実を見れば――といっても冬ではないからまだまだ本質からは遠いけれど――不器用な酪農家を生涯の伴侶として選ぶことは厳しかろう。
 でもね、ダニーはトンネルの先に自由を得た。酪農家の若者たちにも、希望の未来を見せてやりたいと思いませんか。
 連日連夜、渋谷や六本木ばかりではないけれど、繁華街で浮かれ騒ぐ若者は多数いるわけで、彼らには彼らの苦労があると思うけれど、やはり大きな地域格差のようなものを感じざるをえない。
 地域創生担当大臣の石破氏は「やる気のある地域にはどんどん補助をしていく。地域から提案をしてほしい」というようなことを言っておられるが、本当に疲弊した地域には、提案する力さえ残ってはいない。
 そういうことを言うならば、霞が関でのうのうとしている事務次官クラスを、たとえば疲弊する地域の首長にしてみたらいかがか。有能だと自負する官僚たちをどんどんと現場に送りこんだらいいのではないか。
 自分たちは六本木も渋谷も近い都心で快適な生活を堪能しながら「やる気があるならどんどんと提案をしてこい」とは烏滸がましい。まず、自らが牛糞に手を突っ込んでみろと言いたい。

 いやー(糞ぉ)……間違えた。
 いやー(苦笑)。途中から憤って、筆が暴走してしまった。

 さて、自身のことである。ワシャは閉所恐怖症ではない。でもトンネルも掘れない。もちろん牛の世話もできないし、官僚のような記憶力も持っていない。よく考えてみるとなにも得意なものがないんですな。
 師匠に「これだけは人に負けないというものを持つべき」と言われたことがある。それがない。
 で……じっくりと考えた。あ、これは得意と言ってもいいなぁ、というものがひとつだけあった。「座持ちのよさ」である。人と会話を続ける能力は、少しだけあるかもしれない。
 以前、土地を買うブローカーのような仕事をしていたことがあったが、初めての家に行って、初対面の交渉相手に会って、話題を途切れさせたことがない。例えば、床の間にヒョウタンが飾ってあれば「形のいいヒョウタンですね」と振ってみる。そもそもヒョウタンが飾ってあるのだ。家人がヒョウタンを嫌いなわけがない。たどたどしくとも必ず話に乗ってくる。
ヒョウタンって白い花が咲くんですよね」
「これだけのヒョウタンを造るのには手間がかかっていますよね」
ヒョウタンは無病息災の縁起物なんですよね」
 とか、なんでもいいのだ。共通の話題を見つけ出して、話を楽しくすればいい。土地の話なんかしなくて時間切れでオッケーである。三度も通って、雑談を続けていれば必ず契約書に判をついてくれた。
 そうか、ワシャは話すことが得意だったのだ。
 そしてもうひとつ気がついた。実は子供のころから人と話すことが、もっとも嫌いでもあった。人見知りで引っ込み思案とも言われてきた。逆にそんな性格だったので、ことさら気を配って人と話せるようになったともいえる。ある種の対人恐怖症と言っていい。
 得意なんだけど嫌い。トンネル屋のダニーと同じなのである。

 今でもプライベートで女性と対面すると、言葉がまったく出なくなってしまうのだった。酪農家の彼と一緒か。ハハハ。