妖(あやかし)と災(わざわい)

 最初にこのニュースの映像をテレビで見た時、本当に「虫でも湧いたのか」と思った。
http://blog-imgs-54.fc2.com/t/o/r/toriton/tbsnews2336702_6.jpg
 これもそうだ。
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20141031/20141031-OYT1I50010-N.jpg
 今朝の朝日新聞にも一面でこの写真だ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141101-00000031-asahi-soci
 動画で見ていただくと、さらに大量発生の様子が見ることができる。これが全部、 支那のサンゴ密漁船だったとは……。ある意味、虫が湧くよりもたちが悪い。災いと言っていい。
こちらの写真を船の状態を見ていただきたい。
http://news.tbs.co.jp/jpg/news2337326_6.jpg
この錆びの有様はいかばかりであろうか。おそらく船の手入れなどしたことがないのだろう。およそこの船に乗っている連中の民度が知れようというものだ。こうなると漁船団というよりもオンボロ海賊団と言ったほうがいい。
 琉球独立もけっこうだが(けっこうではないが)、日本から分離し、米軍が沖縄から去った途端に、沖縄近海には、大陸の沿岸からこの手の海賊が現われて、小笠原、伊豆諸島近海で起きているこの状態に陥る。辺野古ジュゴンどころの話ではないですぞ。ジュゴンなんか密漁船に根こそぎ捕獲され、珍味として上海あたりの市場に並べられるだろう。あっという間に絶滅である。サンゴだって「KY」の落書き程度では済まない。根ごと引っこ抜かれて持ち去られるか、問答無用で埋め立てられてしまう。

 評論家の宮崎哲弥さんが「中国には健全な消費社会というものが成立しない」と言っておられた。支那中国の貧富の差というのは日本などと比較にならないほど格差が広がっていることは周知の事実だ。社会主義を標榜しながらも社会保障のようなものがまったく機能していないというお粗末なもの。一部の富裕層(共産党員)は富をたくわえ、それを安全な海外に移し、あるいは投資してしまうので、国内で富が還流しない。
 消費についても富裕層は、国内産など危険なものには手を出さず、粉ミルクとか紙おむつまで海外製品に依存している。このために国内でそういったものを製造する健全な産業が育たない。粉ミルクにメラミンを入れたり、食品に地溝油を使ったりするバッタモノしか湧いてこないのである。要するに拝金主義が蔓延してしまったということで、こうなると、もうまともな消費社会は生まれようがないということなのである。
 
 一事が万事ではないが、冒頭の小笠原諸島近海に現われた盗賊船団を見ればよくわかる。やつらにしてみれば沖合の海の底にお宝が眠っているのである。そこが誰の海だろうと、どこの国であろうと関係ない。自分たちが「金」を手にすればいいのだから。
 他国がどう思おうが関係ないのである。何も言わなければ盗み得だし、日本なら平和ボケしているから殺されることもない。刑務所に入れられたって、支那のホテルよりもマシだ。
 他国のことすら気にならないのだから、他者の目などまったく問題ではない。錆びていようが、汚れていようが、そんなものをきれいにしている暇があったら、さっさと盗みの航海に出たほうが「金」になる。それが今回の大量発生につながった。

 日本の周辺海域では、そういう常識の通じない隣人とつばぜり合いをしているということを解ったうえで、辺野古でもなんでも反対してもらいたい。

 コミックの『夏目友人帳』の主人公である夏目貴志は、小さいころから時々変なものを見た。他の人には見えないらしく、それはおそらく妖(あやかし)と呼ばれるものの類だった。
さて、皆さんは妖(あやかし)を見たことがありますか。別に『夏目友人帳』に影響されたわけではないけれど、ワシャは妖(あやかし)を見る。別に難しいことではない。例えばさっき、夜明け前に目を覚まして、書庫に降りてきた。書庫独特の古本臭が嫌なので、茶香炉に火を入れる。ブラインドを全開にすると、まだ暗い空が見える。部屋の電気を落とすと、書庫の中は茶香炉の蝋燭の灯だけの静かな空間となる。そこでしばし坐禅を組む。
 そうするとね、すぐに妖(あやかし)はやってくる。仄かな灯りに目が慣れてくると、目の前に四角い顔をした蝦蟇が舌をだらりと出して現われるんですよ。その奥には長い髪の女の人が見える。頭があの位置なので、おそらく体は床の下だろう。他にも30センチくらいの髭もじゃ男が顔を出すし、ときたま黒い霧のようなものが顔の前を横切っていく。
 これは冗談じゃなくって本当なんですよ。もちろん真っ暗闇の中では絶対に現われないし、生の蝋燭の光源では強過ぎで妖は見えなくなってしまう。妖はほんのささやかな兆しのようなもので、茶香炉の中から漏れる淡い光で丁度いいのだ。夜明けとともに窓が明るくなっていくにしたがい、妖(あやかし)どもは見えなくなってしまう。さらば〜。

 妖(あやかし)というものは、要は人間のイマジネーションがかたちづくるものであって、イマジネーションが乏しい人には絶対に呼び出せないものなのである。妖(あやかし)は前述支那の災(わざわい)と違って、こちらが過剰反応しなければ人に迷惑を掛けることはない。
 災(わざわい)は八百万の神々や靖国の御霊に追い祓ってもらって、妖(あやかし)のほうと仲良くしたいものですね。