三陸報告2

 以前の副社長は徹底した現場主義の人で、中越能登地震の時には、災害発生直後の被災地入りをすんなりと認めてくれた。ワシャが防災担当ということもあって会議にも稟議にも諮らず、廊下で被災地出張が決まった。

    廊下の向こうから副社長がやってくる。
    ワルシャワ、深々と礼をする。
副社長「お早うございます。ワルシャワさん、元気ですか?」
ワルシャワ「あんまり元気がないんですよ」
副社長「どうしたんですか。元気だけが取り柄のあなたが……」
ワルシャワ「(ムッ)元気だけが取り柄って」
副社長「ホホホ、ごめんなさい。冗談じゃありませんから」
ワルシャワ「(ムッムッ)実は上司に災害現場に入りたいと申し出たのですが、予算がないとか、情報収集する必要がないとか言われまして」
副社長「それで元気がなかったんですか」
ワルシャワ「ワシャはどうしても現場に入りたいんです」
副社長「行けばいいじゃないですか。総務に言っておきます」
 この一言で中越地震の現場に入ることができた。その後、都合3回、川口町や長岡市に出張し、災害対策本部やボランティアセンターの運営などの研究をすることができ、お蔭で社の防災対策を充実させることができたと思っている。

 時は流れ、ワシャは防災担当から環境担当を経て企画担当に回された。そして今回の東北地方太平洋沖地震である。数年間、地震にのめり込んでいたので地震が発生すればいてもたってもいられない。さっそく、災害発生直後、上司へ東北入りを申し出た。でもね、やっぱり防災担当でないワシャの立場は弱い。結論は「現地へは防災担当が行く。企画担当は自分の職責を全うせよ」だった。まぁそんなことだとは思っていましたがね。トホホ。
 でも、諦めきれなかった。なんとか東北の現場を見ておきたい。あちこち走り回ってようやく出張が決まったのは5月の末だった。う〜ん、組織がでかくなると動かすのに時間がかかるわい。
 今回も実は副社長に助けられた。現在の副社長が、自分の行くべき出張をワシャに譲ってくれたのだ。ありがたかった(泣)。一時は、自腹で現地入りも考えたんですが、そうすると1か月分の書籍費が吹っ飛んでしまう。助かった(感涙)。
「GO!」がかかれば、元気だけが取り柄のワルシャワは早いですぞ。3日で全ての手続きを済ませて、4日目には機上の人となった。めでたしめでたし……。
 ところがこれがめでたくない。ワシャは飛行機恐怖症だったのだ。そのことに搭乗してから気がついた。うおおおお!恐怖のフライトについては、明日のココロだ〜。