帰宅は午後9時だった

 午前6時半からの作業は休む間もなくスタートの午前10時になっていた。オープニングセレモニーが始まっても会場内を走り回っていたので、ようやく一息ついたのは午後11時ちょっと前かなぁ。たまたま地元の小学校のグランドと体育館を借りてのイベントだったから、来賓でその小学校の校長が本部席にいた。その校長がワシャの姿を見つけ駆け寄ってきた。以前の仕事で3年ほど交流があり、ワシャとしてはいい仕事ができたという自負があった。おかげで信頼関係のようなものが醸成されている。彼のほうが年下なので、先輩に遇するような態度で接してくれる。ワシャは居心地のいい人間関係といっていい。

 頭を下げるしか能のない地元県議には、実に事務的な応対をしていた。聞きようによっては横柄ともとれるような感じですかね。そういえば件の校長、肩書を振り回す輩を嫌っていたことを思い出した。

 反対に、首にタオルを巻いて作業着で走り回っているワシャには「ワルシャワさん、ご無沙汰しています」と、丁寧に呼びかけてくれて、「ちょっと折り入ってご相談があるんですが・・・」と真剣な顔で言ってくる。

 相談の内容は言えないけれど、以前の仕事にいい印象を持ってくれていて、ワシャを頼りにしてくれるというのはうれしいことである。

立ち話では何なので、後日、ワシャが学校を訪問することを約して、校長は来賓席へ、ワシャは校庭の片隅にある器具庫に向かったのであった。

 結局、支給の昼の弁当を食べる暇はなかった。そんなこともあろうかと、サバイバルに長けているワシャは、家から「ソイジョイ」を持ってきていた。それを麦茶で流し込んで昼食終了。

 午後もイベントは続き、いろいろなトラブルが発生した。昼過ぎから風が上がってきて、テントが飛びそうになった。大急ぎで、ペグを打ち直し、隣のテントと足を結んで補強したりと、けっこう忙しい。

 午後1時半を過ぎると、各テントの物販が売り切れとなり、それぞれのグループが撤収すると、そのテントを解体していく。アルミ製の簡単テントも何張かあるけれど、それでも昔の重い鉄製のテントが多く、これをばらすのが一苦労。梁の鉄棒を後頭部に受けたり、横で作業する人が柱を振り回すので、それが肩に当たったり、足の甲の上に柱を落としたり。一番ひどかったのが、伸縮のテントの足を短くするときに、伸縮の継ぎ目のところに右手を挟んでしまった。運よく、作業用の厚めゴム製手袋をしていたから、それの親指の付け根が破れただけで、ワシャの手には傷を負わなかった。滑るということで、軍手すら使わず素手でやっている人もいたから、その人たちの真似をしていたら危なかったわい。でも、ウォークマンで買ってきた手袋がダメになってしまいましがね。

 イベント自体は午後3時に終了したが、それからの片付けが午後6時までかかった。そりゃトラック10台分の物品を、小学校の校庭から、6か所にある倉庫に移動しなければならない。これも20人がかりくらいで必死にやってその時間となった。

 午後6時半からは、各種団体との「反省会」となっている。これがまた鬱陶しくてさ、各種団体は言いたいことを言っていれば済むんだけど、その準備や撤収を誰がしたんですか?という話さ。

 自分たちでテントや机、椅子を運んできて、現場にセッティングして、物品も運んで、並べて、後片付けもし、そしてすべてをの撤収までしてからものを言え。中には大人もいて、

「細かいところでは問題がありましたが、全体的にいいイベントになったと思います。担当の皆さん、ありがとうございました」

と、感謝を述べてくれる。反対に体育館を使ったグループの長は言いたい放題だった。

「ここが悪かった。あそこもダメだった。これはこうして欲しい。理事たちがまったく体育館に顔を出さなかった」

 おいお~い、ワシャは3度も行ってまっせ。外のブースの電源を取るのに、体育館を走り回った。それをアンタが見ていないだけじゃないか、テメエの確認不足を棚に上げて偉そうに言ってんじゃねえぞ。

 てな感じでしょうか(笑)。反省会が終わったのが午後8時半過ぎ。またそこの後片付けをして、自宅に帰りついたのが午後9時だった。歩数計を見たら20000歩を超えていた。

 焼酎白波のお湯割りを1杯いただいたら、すっかり眠くなってしまって、そのまま寝床に入ってしまったのでした。

 

 明けて今朝、体中がガタピシですわ。やはり親指の付け根は痛いし、左ひじの内側にも、右肩、両膝にも痛みがある。全体の筋肉、関節にもど~んとした重みがあって、回復するのにはまた時間がかかりそうだ。

 でもね、ワシャなんか若手のほうで、80歳に近いような高齢者理事が、それなりに重労働に従事しているから頭が下がる。

 昨日も言ったけれど、イベント会社に委託すれば100万単位の支出が必要だろう。それを地域の一部の人間の善意でまかなおうというのには限界がある。昔はね、村の長老が声を発すれば、村中の若い者が集まって祭りでもなんでもやったものだが、そんなもの昭和の話で、令和のご時世に、元からの人、新しく来た人、外国人なんかが混在する人口密集地域でそんなわけにはいかないのである。

 地域活動の転機がやってきている、そんな印象を強く持ったインベントだった。