ワシャの家は朝日新聞と中日新聞をとっている。おもしろい(笑)と言えばもちろん朝日新聞に軍配が挙がる。家族からは「いつまで朝日新聞をとるのか」と責められるが、世間様がそういう風潮だからこそ朝日新聞は止められない。
コラムニストの勝谷誠彦さんは《9月11日は朝日新聞の「ポツダム宣言受諾」の日であると記憶しよう。》と言っている。ワシャもそうだと思うけれど、朝日新聞がなくなっしまうのは淋しいなぁ。おフランスから日曜日に想ってもらいたいし、「天声人語」には大笑いしたい(大笑)。
人類の進歩と調和を謳い上げた「日本万国博覧会」が44年前の9月13日に閉幕した。
ワシャは小学6年生だったが、万国博のスケールと未来に魅了されたものである。輝かしい21世紀は現実として目の前に広がっていた。
それでも小学6年にもなれば、東西冷戦の話ぐらいは知っている。だからソ連館とアメリカ館が離れているのか……とか思う程度ですけどね。でも、世界は冷戦だけどそれなりに平和だと信じていた。ベトナム館の切手売場のおじさんは優しかったし、ウガンダ館の壁に貼られたペチャンコになったシマウマの皮はのどかだった。アフガニスタン館ではゲート脇の羊の頭に驚かされ、チェコスロバキア館のガラスの彫刻はキラキラしていましたぞ。
ウガンダの大臣はお祭り広場で「ウガンダ国民は暴力を憎む」と演説していたのに、その半年後に、軍司令官のイディ・アミンがクーデターにより政権を奪取。ウガンダは独裁国家となり恐怖政治を敷く。
カンボジアではまさに万博会期中にクーデターが勃発、シアヌーク元首が追放された。この後、共産主義者のクメールルージュが台頭し、国民にとんでもない災厄を撒き散らす。
アフガニスタンは王のザヒル・シャーが、やっぱりクーデターで政権を追われ、その後のソ連との泥沼の戦いや21世紀に入ってからの大戦乱の素地を作っている。
チェコスロバキアは万博の2年前に「プラハの春」をソ連軍の侵攻で潰され、ソ連の属州のようになってしまった。
今ならあの時代の戦乱ならいくらでも羅列でき、世界は平和ではなかったと言える。でも当時の普通の小学生には世界は平和に映っていた。大人たちはそう見せかけていた。明らかに捏造された平和だった。
まさかとは思うが、社会党左派に代表される当時のサヨクの皆さんは、小学生なみに世界平和を信じていたのではないでしょうね。