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 先の大戦についてはいろいろ考えさせられる。

 クソガキの頃はよかった。「0戦はやと」とか「紫電改のタカ」とか「決断」を見て、メカニカルな戦闘機、飛行機乗りの格好よさに熱狂していればよかった。だから、中学1年の時、同級生を集めて「軍隊」を組織したくらいだ。連日、小学校の岩石園で、匍匐前進の訓練をやっていれば楽しかった。

 高校へ進学すると、状況が変った。周囲に共産党系の人間が混じってくる。ワシャはその時期に少林寺拳法を習っていたのだが、その道場の先輩にメチャクチャいい人がいて、この人にはかわいがってもらったし、指導もしてもらった。

 が、ある日、「ワルシャワ君、ちょっとした会合があるんだけど顔を出さないかい」と誘われて、国鉄の敷地内にある集会所みたいなところに連れ込まれた。おそらく民青かなんかの集まりで、そこに年長者も並んでいたから、共産党からも何人かが顔を出していたのだろう。

 その時の話は、過去にも書いているので詳しくは書かないけれど、まぁへそ曲がりのワルシャワは民青には入らず、もちろん共産党にも影響されなかった。あの時にオルグされていれば、今頃は共産党の議員になっていて左うちわで暮していたかもしれない(笑)。

 まったく共産主義には興味はなかったが、それでも生まれてからずっと読んでいる朝日新聞の影響は大きく、少なくとも大学の頃までは「9条改正反対」の「無知サヨク」、いわゆる「デュープス」だった。だって、朝日新聞にそう書いてあったし、大学入試には「天声人語」ってすり込まれていたからね。

 まぁその朝日の呪縛から解放されたのには、司馬遼太郎の影響が大きかったと思う。司馬さんは、ご自身が戦争に駆り出されていており、戦争については否定的な考え方を持っていた。しかし、あからさまに戦うことを否定するのではなく、その背後にあるファクトを多方向から、そして数多く検証することで、事実に近づくことができることを教えてもらった。物事は一面的ではありえないということを知った。

 その後、どれほどの先の戦争、大東亜戦争、太平洋戦争に関わる本を読んだだろう。その関連で書庫に現存する本が12棚、500冊ほどはある。歴史書から戦記物、大東和戦争肯定論から慰安婦肯定論まで。

 とにかくそれくらい読みこんで、さらに靖国遊就館大和ミュージアム原爆資料館復興記念館、さらには戦争否定のプロパガンダ展示会まで見てくると、ようやくあの戦争のかたちがぼんやりと見えてくる。

 ここで何度も書いているが、日本が「絶対悪」で、連合軍が「絶対善」なんてことはありえない。何事かを目論むものは、大衆を誘導するために、判りやすい状況に落とし込もうとするが、そんなちゃちな理屈で動くほど世界情勢は簡単ではない・・・ということに気がついた。

 だから「終戦記念日」というのは複雑なのだ。もちろん戦争の犠牲になった300万余の人々への追悼は忘れないし、彼ら彼女らの懸命な生き様の上に、現在の日本が成立していることも記憶しておくべきだ。とはいえ、単に「反省」ばかりではいけない。この終戦の日の後に、武装解除している日本軍を攻撃し、その日本軍に守られている民間人を襲って殺害した事実もあるのだ。けっして「終戦後は平和に戻りましたとさ」ではない。さらに言えば、戦後、占領された沖縄をアメリカは返還した。しかし、終戦後に日本を侵略したソ連が占領した北方4島はいまだに返還されていない。韓国にいたっては、終戦後のどさくさに紛れて、島根県竹島を不法占拠したまま、相変わらず「ここは我が国の領土だニダ」と絶叫している有り様だ。

終戦」と言っても、8月15日の点だけで考えられるものではない。そこに連なる4年の太平洋での戦争、大陸での10年の戦闘、さらには欧米がアジアに手を突っ込んできた100年の騒乱まで熟慮しなければ、なにも見えてこない。

 8月15日以降は、GHQの洗脳教育、それによる日本の腰砕け外交、日米、日ソ、日中、日韓関係などへの配慮も度を越している。これらも含めてあの戦争を総括するのに、日本人は果たして何十年を費やすことだろう。

 戦争に敗けるということはこういうことなのである。日本人のもつ誇りをすべて剥ぎ取られて、「日本人は最悪最低の民族です」と言われ続けることに、ずっと甘んじなければならないのか。

 ワシャの孫の時代には「誇り高き日本」を復活するために、ううむ、まだまだオッサンは勉強しなければならないと決心した8月15日だったのだ。