武士道

 優れた武士は名誉を重んじた。それは「名」「面目」「外聞」という言葉に表されている。このことは新渡戸稲造の『武士道』に出てくる。「名に恥じぬように」「体面を汚すな」「恥を知れ」ということである。
 例えば浅野長矩赤穂藩主で江戸城での勅使饗応役を命じられた。高家吉良義央に指導を仰いでいたのだが、面目を潰されたことで怒り狂い江戸城内で刃傷に及ぶ。その結果として名誉の切腹を賜う。
 忠臣蔵のようなフィクションはともかくも、史実では浅野長矩が瘧(おこり)のような精神疾患を持っていたことが要因だと言われている。それにしても武士の「廉恥心」が妙な方向に暴走した結果だと思う。
 その他にもこんなケースもあると新渡戸は書く。
《ある町人が一人の武士の背に蚤が跳ねていることを好意をもって注意したところ、立ちどころに真二つに斬られたという話がある。けだし蚤は畜生にたかる虫であるから、貴き武士を畜生と同一視するは許すべからざる侮辱であるという簡単かつ奇怪の理由によるのである》
 名誉、誇りと言い換えてもいいが、病的なまでの行き過ぎはどうであろう。

 先日、メディア王国の将軍であるハルパゴスの話をした。かれは「名」を汚され「面目」を失い「外聞」は最悪のものとなった。しかれどもハルパゴスはなにもなかったかのように王に忠勤を続け、そして長い歳月を経て復讐を遂げるのである。短気な浅野長矩とは対極にいる人物だと思う。
 ところが日本にはハルパゴスを超越するとんでもない男がいる。徳川家康である。かれはハルパゴス同様にその時の王に息子を殺される。王は織田信長であり、殺された息子は嫡男の信康である。家康の場合の辛さは、長男ばかりでなく本妻の築山御前も信長の命により誅せざるを得なかったことだ。
 しかし家康、その後もまったく変わらず、信長に忠勤を励む。やがて信長は明智光秀に殺されてしまうわけだが、その後、家康が天下を掌握しても、信長の係累に害を及ぼした事例を知らない。妻子を言いがかりで時の権力者に殺されてしまう。そんな「家としての名」も「親、夫としての面目」も地に墜ち「家来たちへの外聞」も悪かろうに、家康はそのことに関して仕返しをしようする様子は見えない。
「名」も「面目」も「外聞」も実益の前にはなにほどのことがあろうか。そんなものは収穫前の穀倉地の一把の稲にたかる虫ほどにも感じなかったのかもしれない。ここが家康の計り知れない度量の深さと言えるだろう。三河武士道おそるべし。