武士の話

 湯川秀樹博士の散文の中に「父から聞いた中国の話」というものがある。その中にこんなフレーズがある。
《父が常日頃、わたくしたち子供にいっていた言葉にこういう話がありました。(中略)「武士は食わねど高楊枝」という諺です。》

 台湾の李登輝元総統が著作の中で言っている。
《「武士は食わねど高楊枝」という言葉があります。日本の武士は、たとえ飢餓に瀕していても、名誉や誇りを捨ててまで金に執着するものではありませんでした。この「痩せ我慢」の精神こそが、長い間、日本の支配階級の腐敗や堕落を防ぐ大きな橋頭堡となっていたのです。》

 ラフカディオ・ハーンが「日本人の微笑」の中で江戸末期から明治期に生きた老サムライのことを書いている。要約をする。
 老サムライは維新後に禄を奪われ一家ともども路頭に迷った。それを横浜で商売をしていた英国人が雇い入れた。サムライは雇い主が外国人であろうと、日本の名家に奉公したときと同じように忠義を尽くした。ある時、虫の居所が悪かった英国人の雇い主はサムライに怒りをぶつけた。サムライはその怒りに対し微笑を浮かべながら低頭しつつ甘んじていた。その微笑、外国人には理解に苦しむ。外国人にとってその笑いは嘲笑に思えたのであろう。日本人の心を知らない雇い主はさらに激昂しサムライの面(おもて)を殴りつけた。まさに武士の面目を辱めた。お互いに武士ならば決闘だろう。しかし、この場合は異邦人の主人とサムライであった。面を汚されたサムライは次の瞬間、腰に差していた長刀を鞘走らせ、異邦人の頭の上で空を切った。そして目にもとまらぬ早業で鞘に納めた。老サムライにとって、日本文化を知らなかろうが、武士の価値観を理解できなかろうが、その異邦人は主人であった。己の面目を保つためとはいえ、刃を向けた責任は取らなければならない。面目は守る。しかし責任も取る。老サムライは深々と礼をしてその場を辞去し、その夜、作法通りの手順で切腹をして果てた。

 武士は面目をつぶされれば死ぬ。それはある意味で「死ね」と言われたことと同じだからである。武士は「死ね」と言われたら、躊躇せずに死を選ぶ。ハーンの書き残した老サムライは「死ね」と言われなかったが、自らの誇りのために死を選んだ。もちろん日本人がみんなそうだとは言わない。しかし、多くの日本人は今でも心の奥底にそういった魂(スピリット)のようなものを持っていると思う。
 上記の文章で「死ね」という言葉を2回、今も使ったので計3回使ったが、書いていてその都度とても嫌な気分になった。そもそも嫌な言葉である。その言葉に違和感をもたない人はそれでいい。しかし、つるのさんをはじめその言葉を嫌悪する人はいるのだ。そういった感性がない自由国民社は思慮が足らないし、スネ夫のような口元に笑みを浮かべて、何だか知らない賞をもらって舞台に立っている国会議員も阿呆である。

 武士の痩せ我慢を書こうと思ったけれど、途中から脱線してしまった(謝)。