執着

 何かの本で読んだのだが、仏教典に人間社会が壊れていく過程を説明したものがあった。エピソードはこんなんだったと思う。
 原初、人間は物を持たなかった。食べるものは豊富にあったので、その日必要なだけをとってきて、それでも穏やかに豊かな気持ちで暮らしていた。そんな状況だから政治も法律も必要ない。
 ある日のこと、一人の怠け者が翌日の分までとってきた。そうするとそれを見た他の人間も「じゃあオレも」ということになってしまった。
 また次の怠け者が、他の人間に先んじて1週間分の食べ物をとってきて、蔵を造ってその中に収めてしまう。欲の発生である。
 蔵を造れば、蔵を守らなければならないし、特定の人間が食料を収奪してしまうので、盗みをする者も現れた。食料を奪う者と、奪われる者の間で喧嘩が始まり、それは戦(いくさ)に発展していく。
 物への執着が醜いものを生んでいくというありがた〜い教えだったと記憶している。

「執着」については、スリランカ上座仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老が『執着しないこと』(中部出版)という本を上梓しておられる。その中で老師は言われる。
《エネルギーを漏電させる原因として、「怒り」や「欲」を挙げました。これらは、結局のところ、執着より生じます。何かにこだわるから、怒りや欲が出るのです。》
 仰るとおりだと思う。思うけれども「怒り」や「欲」が活力になっているところも否めない。
 いろいろなものに執着はある。人に、物に、地位に、名誉に……。これら一切に執着するなと言われてもなかなか難しい。